章14

教本『大自然の法則と人間の使命』

第十四章 知らせとは何か

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凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『実踐哲学の学び(その2)』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。第三部は原典テキストから照合・挿入した。

合図としての知らせ

「知らせ」とは何か。原典は、これを次のように定義している。

【原典】知らせとは 『実踐哲学の学び(その2)』

「知らせ」とは、「大自然の或る存在(神佛)」からの「合図」のことをいう。神佛は、われわれの周りに常に存在して、世を動かしておられる。人が世の動き、つまり法則通りに生きていくために、必要に応じて軌道修正をされる。それが「知らせ」である。

── 出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせとは」

神佛は、通常、言語を持たれない。そこで「お考え」「ご指示」を人間に伝えるため、周囲でさまざまな事象・現象を起こし、直接または間接に伝えようとされる。その事象・現象は、大自然のエネルギーの根源(神佛)の意図によって起こされている──第一章で見た「萬有意趣の所産」(偶然はない)が、ここでも土台になっている。

知らせは、決して特別なことではない。

【原典】知らせは生活の中に 『実踐哲学の学び(その2)』

「知らせ」とは、決して特別なことではない。歴史発祥の昔から今日まで、常に日常の中に有るのだが「知らせ」という観点を持たなかった。

── 出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせは生活の中に」

たとえば「噂をすれば影(噂をさせられる)」「思い立ったら吉日(思わされる)」「草鞋の鼻緒が切れたら縁起が悪い(予知)」「ツバメが低く飛ぶと雨が降る(予見)」──昔から諺でも表されてきた。これらが、神佛に「させられている」知らせの例である。

〔喩え〕電話のベルは、用があるから鳴る。受話器を取り、用件を聞かなければ、ベルは鳴り続ける。電話のベルが「知らせ」で、受話器を取り用件を聞くことが、知らせの意味を「解く」こと。相手の用件を聞き届け、実践すれば「さとり」になる。

図29の読み方

 図29は左から右へ三段で読む。「ベルが鳴る」=「知らせ」。「神佛からの用件(御意趣)があるから鳴る」のであって、苦・不運・出来事として現れる。次に「受話器を取り、用件を聞く」=「解く」。「知らせの意味を読み解く」ことで、ご神示で問い、絵姿で掘り下げる。最後に「用件を聞き届け、実践する」=「さとり」。「解いた意図に沿って行いを改める」と、「知らせは役目を終えて止む」。下の枠が念を押す ──「受話器を取らなければ、ベルは鳴り続ける」。気づいたのに実行せずにいれば、知らせは消えず、形を変えて再び来る〔出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせとは」「苦は知らせ」〕。

図29 知らせ → 解く → さとり ── 電話のベルの喩え(第三部)
図29 知らせ → 解く → さとり ── 電話のベルの喩え(第三部)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

苦は、知らせである

周囲に起こる苦こそ、知らせの分かりやすい現れである。原典はこう述べる。

【原典】苦は知らせ 『実踐哲学の学び(その2)』

われわれの周囲で発生する事故、事件、病気、不和などの「苦」、生活上の不都合な事象、現象が、神佛からの知らせである。また「嫌だな」「おかしいな?」と、心で思う状況も知らせである。

── 出典:実踐哲学の学び(その2)「苦は知らせ」

身体の眠気・しびれ・痛み・病気、心の怒り・あせり・いらいら、家族間のトラブル、仕事の失敗・不調・倒産──これらはみな知らせ・合図である。通り魔事件に遭うのも、戦争が起こるのも、知らせなのだ。原典は、次の実例を挙げる。

〔実例〕ある婦人に、登校拒否の小学生の子がいた。どんなカウンセリングも効かなかった。母親は大自然の法則を学び、「四分六分の法則」を知り、自分が主人をないがしろにして一家の主導権を握り、実家ばかり頼って嫁ぎ先を粗末にしていたと気づいた。心を改め、嫁ぎ先の先祖の墓参りもするようになった。そのころから子供は登校を始めた。――知らせに気づき、行動を変えたから、知らせがなくなったのである。(実踐哲学の学び(その2)「苦は知らせ」)

知らせは、日々の暮らしの中に現れている。同じ出来事を、気付かずに過ごすか、知らせとして受けとるか──その違いを図30に示す。

図30の読み方

 図30は左右で読む。真ん中に並ぶのは、ありふれた日常の出来事である。左が「今 ── 気付かずに生きる」、右が「これから ── 気付いて生きる」。「風邪を引いた」なら、左は「『無理をした』『人ごみにいた』」と形而下の因果関係だけを見る。右は「いつもならその程度で引かないのに、なぜ今回は引いたのか」と問う。「車が故障した」なら、左は「修理工場に持ち込んで直す」で終え、右は直すと同時に「なぜ、このタイミングで故障したのか。何の知らせなのか」を問う。原典が言うとおり、「『知らせ』とは、決して特別なことではない。歴史発祥の昔から今日まで、常に日常の中に有る」〔出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせは生活の中に」〕。

図30 日常に現れる知らせ ── 気付かずに生きる今/気付いて生きるこれから(第十四章)
図30 日常に現れる知らせ ── 気付かずに生きる今/気付いて生きるこれから(第十四章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

なぜ、苦で知らせるのか

良いことも悪いことも、周りで起こることは皆、知らせである。ではなぜ、神佛は“苦”という形を多く用いられるのか。原典はこう説く。

【原典】なぜ苦で知らせるか 『実踐哲学の学び(その2)』

同様に神佛が知らせを掛けられるのも、苦や痛み、悩み、困難さを持って合図される方が、気付きや進歩発展に効果的である。神佛は、各人各様に、最も時機に適った、最も効果がある「苦」で持って合図されているのだ。

── 出典:実踐哲学の学び(その2)「知らせの方法」

これは、残酷なように見えて、実は深い慈悲の現れである。前知らせ、警告等、ご指示が分からないから、当来佛は「一度にドンと来る」と仰せだ〔出典:掘り下げ(改訂版)〕。小さな知らせのうちに気づかせてくださること──それが、大きな恵みなのである。

知らせに気付くか、解こうとするか、実行してさとろうとするか。その三つの分かれ目と、そこに能く神佛の能きのしくみを、図31に示す。

図31の読み方

 図31は三段に読む。一段目は前提で、神佛は常に合図を掛けておられる ──「大自然は、動き、能きのご意趣を、各自の『六根』を通じて、解れ、悟れ、覚れと、『証し』のために『知らせ』『合図』『予報』『警告』をする」「合図は、知らせ」「知らせでないものはない」。二段目が三つの分かれ目で、①「気付くか」②「解こうとするか」③「実行してさとろうとするか」。「日々、刻々と誰にもご神示(知らせ)はあるのだが、通常、それが『知らせだ』と気づかないだけである」。どこかで止まれば、次の過程へは進まない。三段目は「そこも『させられる』のか」で、答えは「善い事も、悪いことも、何もかもさせられるのであるが、『心掛けは各自のもの』『心掛けは、各自の責任』」〔出典:諸法の原理原則 第二部 第十二則 126頁〕。なお原典は、知らせの法理の一つに均衡矯正運動を挙げている(「近所の嫌な人(法理:均衡矯正運動)」)〔出典:実踐哲学の学び(その2)第三部〕。

図31 知らせからさとりへ ── 三つの分かれ目と、能きのしくみ(第十四章)
図31 知らせからさとりへ ── 三つの分かれ目と、能きのしくみ(第十四章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)
『大自然の法則と人間の使命』正本v127の「第十四章」を、本文の文字を変えずに掲載しています。精査前の暫定版です。金枠=原典(出典付き)/灰枠=〔編者注〕。図は正本の図をそのまま載せています。
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