教本『大自然の法則と人間の使命』
第二十二章 さとりとは「差を取る」こと
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『諸法の原理原則』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
さとりとは「差を取る」こと
「さとり」は、一定の境地の名ではない。神佛のお考えと自分の考えの「差」を、その時々に取っていく行いである。その道筋を、『絵姿改訂版』は次のように並べている。
差とり(さとり)のプロセス:
知り → 受け入れ → 気づき → 認める → 自省 → 反省 → 考え直し → 修正・方向転換 → 学び実行 → 能率増進 → 仕合わせる
この繰り返しがさとりだ〔出典:絵姿改訂版〕。そして『諸法の原理原則』は、第二部 第五則の細目〈さとり〉で、さとりをこう説いている。
【原典】さとり=差を取る 『諸法の原理原則』第二部 第五則〈さとり〉
「さとり」とは、人間の考え方と大自然のお考えの「差を取る」ことなり。
「差を取れ」ば、一致、合致する。そして、如意に通ずる。
さとりの奥行きは、1つの点の時に、よく掘り下げていって、それが「線」や「面」になり、「量」になり、「深」さとなり、「体」となる。
── 出典:諸法の原理原則 第二部 第五則〈さとり〉
さとりの奥行き
一つの点として受けとめたことを、よく掘り下げていくと、線になり、面になり、量になり、深さとなり、体となる。同じ出来事でも、掘り下げの度合いによって、受けとる中身が変わる。さとりに深い浅いがあるのは、このためである。
差を取ること、その道筋、そして奥行きを、図50に一枚でまとめる。
図50の読み方
図50は四段に読む。一段目は原理原則の定義で、「『さとり』とは、人間の考え方と大自然のお考えの『差を取る』ことなり」。二段目はその図解で、左の「人間の考え方」=自分の考えと、右の「大自然のお考え」=神佛のお考えのあいだにある「差」を「取る」。すると「一致、合致する」、そして「如意に通ずる」。如意とは「意のごとく。神佛意のごとくなれば、いいようになる」。三段目は差とり(さとり)のプロセスで、「知り」「受け入れ」「気づき」「認める」「自省」「反省」「考え直し」「修正・方向転換」「学び実行」「能率増進」「仕合わせる」の十一段である。この繰り返しがさとりである。四段目はさとりの奥行きで、「1つの点の時に、よく掘り下げていって、それが『線』や『面』になり、『量』になり、『深』さとなり、『体』となる」〔出典:諸法の原理原則 第二部 第五則〈さとり〉/絵姿改訂版/佛は、かく申された2〕。

三法印ルーチン
当来佛の教えの柱は「三法印」(さんぼういん)といわれるもので、
1. させられている(旧佛教:諸法無我)
2. 知らせの解明(ご意趣の解明)
3. ご神示による行動(霊観応行)
の三点だ。
この三点を日常のルーチンとして実践することが、さとりへの道だ。
させられている:すべての出来事は神佛によってさせられている。自分の意思に見えても、実は「させられている」。この認識が出発点。
知らせの解明:なぜさせられているのか。その意味・ご意趣を、ご神示や絵姿で解明する。
ご神示による行動:解明したことを実行する。行動によって次の変化が生じる。
【原典】当来佛の三法印 『実踐哲学の学び(その2)』
一、(すべての事象は神佛に)させられている。
二、(神佛からの意図があり)知らせの解明。
三、(神佛にその意味を問う)ご神示による解明、行動。
── 出典:実踐哲学の学び(その2)第三部「究極(当来佛の三法印)」
〔編者注〕 旧佛教では、一切皆苦を数に含めれば四法印(諸法無我・諸行無常・涅槃寂静・一切皆苦)、含めなければ三法印(一切皆苦を除く同三つ)と、二通りに数える(いずれも正しい用語)〔出典:掘り下げ(改訂版)第一部第一章=四法印/実踐哲学の学び(その2)第三部「究極」=三法印〕。当来佛の三法印(①させられている ②知らせの解明 ③ご神示による解明・行動)は、これと独立の独自の教えで、旧佛教を典拠とされたものではない(「当来佛は旧佛教を学ばれたことも、その必要もなかった…図らずも旧佛教と同一点が多数有った」)〔出典:実践(形而上学)〕。旧佛教で「一切皆苦」に当たる内容は、当来佛では「人生は一切皆苦だが、させられるから『知らせ』である」として捉えられている〔出典:実踐哲学の学び(その2)第三部「究極」〕。本文で各項に付した(諸法無我)等の対応は理解のための編纂側の補助である。
さとりの四つ ── 解・悟・覚・了
『諸法の原理原則』は、「空とさとり」の項で、さとりを「解、悟、覚、了」の四つの語で示している。
【原典】空とさとり 『諸法の原理原則』第二章 第一理の細目
空は、「覚り」の「前駆」で「同時」である。(解、悟、覚、了)
── 出典:諸法の原理原則 第二章「空とさとり」
解(げ)・悟(ご)・覚(かく)の一つひとつについて、原理原則は語釈を置いていない。「了(りょう)」に連なる語だけが、次のように説かれている。
【原典】了得・了解・了義 『諸法の原理原則』第二部
*「了得」言葉、文言を知り、覚えるのではなく、その事柄の内容、実体を掴んで、現実に身をもって実践し、体得して、実体・実相を了得することである。
「了得」とは、悟り、納得すること。
*「了解」さとること。心に納得すること。心に受けて合点をすること。領解覚了なり。
*了義とは、大自然の意趣をさとりきること。
── 出典:諸法の原理原則 第二部(「会得」/了義の細目)
さらに、これらのさとりが何によってなされるかを、原理原則は「正思惟」の項でこう説いている。
【原典】正思惟 『諸法の原理原則』第二部
正思惟によって、「正解」「正悟」「正了解」がなされる。
── 出典:諸法の原理原則 第二部「正思惟」
〔編者注〕 解(げ)・悟(ご)・覚(かく)の一つひとつの語釈は第十七章に示した〔出典:実踐哲学の学び(その2)第三部第一章「さとりの段階」〕。同書は「解・悟・覚」の三つで説き、「了」を挙げていない。四つを挙げるのは『諸法の原理原則』「空とさとり」による。なお『掘り下げ(改訂版)』は「解、悟、覚は、さとりの順番でも段階でもない。さとりの入り口が違う、さとりの見方(前、後ろ)が違うのである」と述べるが、本書は典拠の優先に従い原理原則に依った。
原理原則が挙げるさとりの四つと、それに連なる語を、図51にまとめた。
図51の読み方
図51は五段に読む。一段目は原理原則が挙げる四つで、「空は、『覚り』の『前駆』で『同時』である。(解、悟、覚、了)」。二段目はその四つの語、解(げ)・悟(ご)・覚(かく)・了(りょう)である。解・悟・覚の一つひとつについて、原理原則は語釈を置いていない。三段目は「了」に連なる語で、これは原理原則にのみ在る ──「『了得』とは、悟り、納得すること」「『了解』さとること。心に納得すること。心に受けて合点をすること。領解覚了なり」「了義とは、大自然の意趣をさとりきること」。四段目は、何によってなされるかで、「正思惟によって、『正解』『正悟』『正了解』がなされる」。五段目は典拠の食い違いの扱いで、『実踐哲学の学び(その2)』は三つで説き「了」を挙げないが、本書は典拠の優先に従い原理原則に依った〔出典:諸法の原理原則 第二章「空とさとり」・第二部〕。
