実践書
第三章 形而上と形而下 ── 二つの世界
教本の対応: 教本『大自然の法則と人間の使命』第三章「形而上と形而下──二つの世界」(図11〜図13)
世の中の動きには、目に見える世界(形而下)と、目に見えない世界(形而上)の二つがある。第三章は、この二つの世界と、宗教は学問であること、善悪の基準が「多衆への影響」であることを、原典と説法で確かめる章である。車の故障や風邪のような身近な出来事にも、形而下の手当てと形而上の問いの両方がある。ここでも、形而下(受診・修理・休養)を先にする。
節020 目に見える世界と見えない世界
教本の対応: 第三章「目に見える世界と見えない世界」・図11
【原典】「大自然の法の能き、動きには、肉感で感受し理解できる「形而下」の法則に基づく、能き、動きと、肉感で感受、理解出来ない「形而上」の法則に基づく能き、動きがある。」
── 『諸法の原理原則』第1章「実在」16頁
【原典】「形而下の法則を学ぶ学問が、自然科学と言われる天文・物理・化学・医学・心理学、等であり形而上の法則を学ぶ学問が哲学(形而上学)、宗教学である。」
── 『諸法の原理原則』第1章「実在」16頁「形而上学、形而下学」
【説法 2026/9/21教えには、人と人の繋がりが必要!】その持たされた「目に見えない」気持ちを、何故なのか?何の意味がるのか?どうすべきか?を考える、法則に照らして解いていくことが形而上学であり、「大自然の法則」の学びなのです。
【言及】○ 原典「肉感で感受、理解出来ない『形而上』の法則」と近い。説法は、持たされた「目に見えない」気持ちを法則に照らして解いていくことが形而上学だ、と言う(「形而上」は説法337本中91本)。
【説法 2026/8/12「分を知ることから?」】あなたには形而下に隠れた形而上の心や考え、精神、情、思いなどの目に見えない動きに関心が有りますか?
【言及】● 「形而上」「形而下」は原典の語。説法は、形而下に隠れた形而上の心や考え、情、思いなど、目に見えない動きに関心があるか、と問う。
【私の体験】
手がかりの問い: 目に見える出来事の背後に、自分の見えない心の動きがあった、と気づいた経験は何か。
節021 形而上と形而下は不離一体 ── 形而下の手当てを先にして、形而上の問いを加える
教本の対応: 第三章「目に見える世界と見えない世界」後半(車の故障・風邪の例)・図12
【原典】「形而上科学は、形而下のように、形の上の表現だけでは成立しない。」
── 『諸法の原理原則』第1章「実在」「形而上科学」
【原典】「必ず、「心」の表現も加わらないと、効果が現実に法則通りに現れない。」
── 『諸法の原理原則』第1章「実在」「形而上科学」
【原典】「形而下の科学とは、形の上で表現されれば、効果が法則通り必ず現れる。」
── 『諸法の原理原則』第1章「実在」「形而上科学」
【説法 2026/9/13「笑顔の裏には、努力がある?」】言うまでもなく、世の中には形而上と形而下の両方の動きが有り、上手く行かない問題の原因を形而上、下で探り、知っていかなくてはならない。
【言及】● 「形而上」「形而下」は原典の語。説法は、形而上と形而下の両方の動きがあり、原因を形而上・下で探る、と言う。
【説法 2026/7/25「心」を無くしていませんか?】病気の原因は、形而下、形而上の両方がある。
【言及】● 「形而下」「形而上」は原典の語。説法は、病気の原因は形而下・形而上の両方にある、と言う(形而下=医療・生活の手当てを先にする、は本章の立場)。
【説法 2026/8/22「当たり前が分からないと、相手が見えない!」】大自然は言う、やはり相手と話すマナーである形而下の基本の「心」(礼、謙遜、調和、協力、感謝)」を持つことが出来なければ、いきなり形而上で「今から話しますか?」と「ご神示」を立てたとしても上手くいかないのは当然ではないだろうか?
【言及】○ 原典「形の上で表現されれば、効果が法則通り必ず現れる」と近い。説法は、礼・謙遜・調和・協力・感謝という形而下の基本の心を持たずに、いきなり形而上でご神示を立てても上手くいかない、と言う。
【私の体験】
手がかりの問い: 形而下の手当てをした後に、形而上の問いを立てて、気づいたことは何か。
節022 宗教は学問である ── 当来佛の出現が明かしたこと
教本の対応: 第三章「当来佛の出現が明かしたこと」
【原典】「宗教とは学問の名前」
── 『實踐哲学の学び(その1)』見出し
【原典】「宗教を学ぶのは、学校教育を受けることと同じだ。」
── 『實踐哲学の学び(その1)』「宗教とは学問の名前」
【原典】「しかし、学問したほうがより善い生き方、効率的で豊かな生活をすることが出来る。」
── 『實踐哲学の学び(その1)』「宗教とは学問の名前」
【原典】「学べば、より高い精神レベルでの生き方が可能なのだ。」
── 『實踐哲学の学び(その1)』「宗教とは学問の名前」
【原典】「当来佛は、「宗教は、学問である」と、一般とは違う定義をされた。」
── 『掘り下げ』「宗教と絵姿[1]宗教は学問」
【原典】「実践、体験による修得学問である。」
── 『形而上学のすすめ(一)』第7章「当来佛の教え」3.特徴
【原典】「教観両面(形而上下)の併行学問である。」
── 『形而上学のすすめ(一)』第7章「当来佛の教え」3.特徴
【説法 2026/9/16「宗教ではない?」】その様に考えると「諸法の原理・原則(28則)」は、宇宙の物の在り方、動き、力の能きを示したもので、宇宙の「大自然の法則」の基本であり、いわば科学(学問)の方程式のようなものなので、今までの「宗教(信仰)」とは、大きく違ってくるのではないでしょうか?
【言及】○ 原典「宗教は、学問である」と近い。説法は、「諸法の原理・原則」は、いわば科学(学問)の方程式のようなもので、今までの「宗教(信仰)」とは大きく違う、と言う。
【説法 2025/12/27「大自然」に心を向ける】「何のことか?」「どうすべきか?」と考える、解く(ご神示)ことが出来るのが、「大自然」からの「霊的観応通能力(霊観)」の頂き方で形而上学の学びである。
【言及】● 「霊観」は原典の語(教観両面の「観」)。説法は、「何のことか」「どうすべきか」と考え、解く(ご神示)ことが、霊観の頂き方で形而上学の学びだ、と言う。「教学」の語は、説法337本中1本(「教学相長」・4/5)のみで、「教学と霊観行」の対の意では出ない。
【私の体験】
手がかりの問い: 「宗教」への印象が、学び始めてから変わった点は何か。
節023 善悪の基準 ── 多衆への影響と、四適に適うか
教本の対応: 第三章 末尾(第五章 第一理「万物、諸行に善悪の基準がある」)・図13
【原典】「善悪とは、箇個の都合を基準としての良、否ではない。」
── 『諸法の原理原則』第5章「万有、諸行の基準」第一理「万物、諸行に善悪の基準がある」90頁
【原典】「多衆の中の箇個として、衆に対し、即ち社会、公共に対しての影響の良、否が基準となる。」
── 『諸法の原理原則』第5章 第一理 90頁
【原典】「そうしてそれが「法、時、処、才」の四事に適うか、否かなのである。」
── 『諸法の原理原則』第5章 第一理 90頁
【原典】「また、それが「四適」の条件を備える度合の適、不適の度が、良否の度、即ち善悪の度となる。」
── 『諸法の原理原則』第5章 第一理 90頁
【説法 2026/9/5「人間が本来の心を取り戻すには?」】心で思うことに、正解は、有るようで無いようなかもしれないが、実は善悪はある。
【言及】● 「善悪」は原典の語(説法337本中19本)。説法は、心で思うことに正解は有るようで無いかもしれないが、実は善悪はある、と言う。
【説法 2026/6/9「ご神示」は上手く行くためのものではない?】上手くいかない時は「知らせ」で、四適の考えと、相手に「心を遣っていない」自分の「心の何かが足りない?」「どこか心が違っている?」等、そのことを知る学びではないでしょうか?
【言及】● 「四適」は原典の語(説法337本中13本)。説法は、上手くいかない時は「知らせ」で、四適の考えと、相手に心を遣っていない自分の心の足りなさを知る学びだ、と言う。
【説法 2026/8/30努力なしでも生きられるが、「苦」は追いかけてくる!】幾ら、助けてもらったり、守ってもらったりしても、自分のやっていること、行ってきたことの善悪の責任は全て自分にあり、逃れられないのである。
【言及】○ 原典「衆に対して及ぼす『力、作、報』の良、否」と近い(「善悪」の語が一致)。説法は、行ってきたことの善悪の責任は全て自分にあり、逃れられない、と言う。
【私の体験】
手がかりの問い: 自分の都合で決めかけて、周りへの影響を考え直した経験は何か。その後、どうなったか。
体験の書き方
体験の書き方(一件ごと): 日付/出来事(評価を入れない)/見える事実(形而下)と見えない心の動き(形而上)/形而下で先にしたこと/周りへの影響(善悪)の見直し/「私はこのように学びました」の一文。