『あるヨギの自叙伝』第1章「他人の苦しみを理解する」より

第1回 他人の苦しみを理解する

起

『あるヨギの自叙伝』の最初の章に、ヨガナンダの両親の小さなやりとりがある。

母が、家を訪ねてきた気の毒な女性に渡したいと言って、父に10ルピーを頼む。

承

父は「1ルピーで十分ではないか」と答える。理由は、若い日の自分の貧しさだった。

父と祖父が突然亡くなって貧乏を知り、学校までは何マイルも歩き、朝食は小さなバナナ1本だけ。大学へ入ってからも金に困り、裕福な判事に月1ルピーを頼みに行ったが、1ルピーでさえ惜しいと断られた。

転

母は、すぐに道理を添えて返す。

1ルピーを断られたことが、あなたにとってそれほど辛い思い出になっているのですね。それならこの女性にも、あなたと同じ辛い思い出を背負わせたいのですか、と。

先日、勉強会で、体の苦しみを抱える方が絵姿を頂かれました。

その掘り下げが私に回ってきたのですが、私はそろそろ厳しいことを言わなければ、と思いました。そしてご神示もイエスでした。そこで私は、「この勉強はすべて意味があることで、させられているのですから、すべての原因は対象にあるのではなく、すべては自因自果であり、身から出たさびなのです。」という言葉を発してしまいました。

その後、家内からは、「例え、ご神示でイエスが出たとしても、ものの言い方があるでしょう?あなたも癌で大変な手術をしたのだからわかるでしょう?」と叱責されて、反省いたしました。

結

法則だからと諭しても、心無い言葉は鋭い切れ味で相手を傷つけてしまいます。相手のことを思い、相手の為に考えた言葉を選ばなければいけません。そうした思いやりに欠けた掘り下げを、これからはしないようにしようと心に誓いました。

自分が痛みを知っているなら、なおさらです。同じ苦しみを相手に味わわせる側ではなく、相手の状況をよくするために力を尽くす側に立つ ── 私は、そちらを選びます。

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