教本『大自然の法則と人間の使命』
第十一章 役目・使命・住位
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『諸法の原理原則』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
各自に与えられた役目
人には、似た役目・使命を持つ者もいるが、それぞれが個性に応じた違う役目を持っている。その役目を果たすために、個性に基づく「住位」と「分」という位置づけがある。住位とは、時・所・場面に応じて変化する「自分」の立場・位置づけであり、置かれた位置に応じて役目・使命・責任が変わる。分とは、個人の力量・才能・地位・法的な位置などで、各自の分には限度がある。これを「分限(ぶんげん)」という。分限の内での言動・考え・心掛けが、安定の元になる。
たとえば「会社の部長として」「家庭の父親として」「地域のボランティアとして」──それぞれの場面で住位が変わり、求められる役目・心掛けも変わる。これを履き違えると知らせが掛かる。会社で「父親として」、家庭で「部長として」振る舞えば、人間関係はうまくいかない。この住位と分を、原典はこう定める。
【原典】第三章 第三理 万有、諸行に住位と分がある 『諸法の原理原則』
── 全文は 第二章「法則は秩序のためにある」 の項に既出(諸法の原理原則 51頁・標題と頁は図6)
そして原典は、個性が「与えられたもの」であることを示す。「個性は、前世の善悪の果として与えておられる。個性は、自分のものと思っているが、そうではない」(『佛は、かく申された2』個性)。この個性に応じて「万物の住位と分」があり、分に応じた使命と限度がある(分限を知る)。目前の努力の中で「これだ」という分・使命が見え、自らの分限に生きること──それが役目、すなわち天命・天職を果たすことである。「天命とは天与の使命で、使命とは使いとして命じられた用向き、使いの役目、使者で、自分に課せられた任務、天職のこと」(『善戒、禁戒』当来佛)。
〔編者注〕原典には「住位とは……」という定義文はなく、「万物の住位と分」という“原則”の名として用いられている(=与えられた場所での存在価値)。本書の「住位=縦(時間)×横(空間)の交差点」という図式は、原典の原則を分かりやすく言い換えた解説であり、原典そのものの言葉ではない。図式をどこまで本文に採るかは編纂上の判断。
人は「衆の中の個」「連の中の個」
人は、集(集団)の中の個であると同時に、連(つながり)の中の個でもある。空間的な連なりとは、自分から広がる人間関係──家族・親族・職場・地域社会・民族・国民など。時間的な連なりとは、過去から未来へのつながり──無限の先祖からの自分、そして子孫である。人は常にこの空間的・時間的な連なりの影響を受け、また与えながら、「個」として在る。だから「自分さえよければ」という個人中心の考えでは、長期的に物事はうまくいかない。この“独りでは在れない”構造を、原典はこう説く。
【原典】第四章 第三理 万有、諸行は相乗、相引、相反作用を行う 『諸法の原理原則』
あらゆる万有、諸行は、箇、個の一単位の独立孤存は出来ず、衆の中の箇、個として存在し、常に時間的、空間的に相互関連し合う。衆中の箇、個として「相乗」「相引」「相反」作用の中に存在する。常に、連の中の箇、個であり、孤の箇、個ではない。「相乗」とは、互いに能き合う(掛け合う)力、作用。「相引」とは、互いに融引(融け、引き合う)する力、作用。「相反」とは、互いに内蔵する離反(排除、牽制、離す)する力、作用。三つの力が均衡し作用し合い、能き合っている時、安定している。この力が崩れた時、変化、激動する。「箇」は、物を数えるときの単位。「個」とは、人を数える衆の中の個。
── 出典:諸法の原理原則 第4章「万有、諸行の運動」81頁
箇個の能きの良否は、必ず時間的・空間的な延長上の他の連や箇個に、良否の影響を与える(『実践哲学の学び(形而上学その三)』第三理)。だからこそ「感謝と責任とは、自分が衆の中の個であり、連の中の個として生きていることを認識しなくては生まれてはこない。感謝と責任は表裏一体である」(『善戒、禁戒』感謝の善戒)と説かれる。個より他、社会全体を優先する生き方が、ここから導かれる。
〔編者注〕原典は「連=つながり(時間的)/衆=集まり(空間的)」というニュアンスで対にしているが、「連=縦(時間)・衆=横(空間)」と明快に定義した一文は原典にはなく、時間的・空間的の相互関連として並記されている(縦横の図式は整理側の言い換え)。
分担任務と相互扶助
人間は独立独歩では生きられない。必ず他との関係が要り、集団・社会生活を営む。その集団の中には、役目・役割・分担任務がある。その考え方の核心は、次の六つである。
・相互扶助:互いの助け合い
・共存共栄:ともに生きる
・和合協力:心と力・知恵を合わせる
・自主自立:他に寄りかからない
・感謝と報恩:恩に報いる
・秩序の維持・確立:社会を浄化する
各自は、天から「分担任務(天分)」を分け与えられている。「天分とは、天与の分担任務である」「天分の才能。天より分け与えられた才能であるが、磨かなくてはならない。ダイヤモンドと同じで、原石のままでは、光らない」(当来佛)。だが一人は全体の一部・分限しか持てない。だから助け合い・補い合い(相互扶助)で全体が成り立つ──「籠に乗る人、担ぐ人、その草鞋を作る人」、世の中は持ちつ持たれつである(『善戒、禁戒』相互扶助の善戒)。その協力は損得ではなく、身(身体)・口(言葉)・意(心)の三つを合わせて差し出すもので、その最たるものが家族である。大自然の法則の能きは、勧善懲悪・社会秩序の維持・社会浄化・相互扶助・共存共栄という原則へ向かって進められている(『善戒、禁戒』)。
人はなぜ生まれ、なぜ今ここに在ってよいのか。原理原則の宿命・運命・使命に、住位と分、前章の価値を重ねたものが図26である。
図26の読み方
図26は左から右へ、時の流れとして読む。「前世」の「宿業」=「宿命のもとの業」から、「今世」の「宿命」=生まれた時の「命」で「変更は出来ない」へ。その枠の中で「運命」が「心掛け」「所行」で変化し、それが「未来の宿命」として「次の世」へ、「死とともに決算し…引き継ぐ」。原典は「あらゆる万有、万物は、総て前世の所行の『因縁』による報果として、現世に生を受けた時に『命』を持っている」と説く。「『生命』とは、生きるための使命、生きることの使命」である。だから「なぜ生まれたか」と「なぜ今在ってよいか」は、一続きの筋で答えられる〔出典:諸法の原理原則 第三章 第三理・第四理〕。
