章10

教本『大自然の法則と人間の使命』

第十章 人間の存在意義

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凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『諸法の原理原則』『佛は、かく申された2』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。

なぜ、人は生まれるのか

「人間の役目は何か。何の目的のために生きるのか」と問うたとき、神佛は「それは、世の中に必要だからだ」「世の役に立つためだ」と、簡明に答えられた。そして「それが生き甲斐だ。生かされている価値だ」とも加えられた。

「甲斐」とは「価値」のこと。生き甲斐とは、人間として生きる価値・存在価値・有用価値である。「母が勝手に生んだ」「自然に生まれてきた」のではない。各自が大自然の意図の下に、役目を持って生まれさせられている。世の出来事に偶然はなく、すべて必然によってさせられている(第一章 第五理・意趣)のだから、自らの「生の意図」「役目」「価値」を知って生きるべきではないか。

その「価値」を、原典は次のように定義している。

【原典】第五章 第二理 価値の条件 『諸法の原理原則』

価値とは、「効」「用」「能」「要」の程度である。また、世の役に立つ度合いで決まるものである。

── 出典:諸法の原理原則 第5章「万有、諸行の基準」93頁

価値は、自分の都合ではなく「世の役に立つ度合い」で決まる──ここが、この教えの人間観の土台である。そして、その行いは誰にも見られている。

【原典】第五章 第四理 四知の則がある 『諸法の原理原則』

(四知の則は、言葉としては、当来佛が新たに説かれた法則ではなく、古代中国の後漢書に楊震の故事が記してある)

「天知る」「地知る」「他が知る」「我が知る」の四知という法則がある。

「天知る」故に、天罰が与えられる。人為法の律法の制裁よりも、天の制裁の方が遥かに的確で、重く厳しいものである。

「地知る」とは、現場に証拠や痕跡が残る。

「他が知る」とは、他人が見たり、聞いたり、感じたりして知っている。

そして「我が知る」は、何よりも、自分が知っているので、夢に見てうなされる、思わず言わされる、嘘がつけない。

この四知の則の内、知られていないのが、「天知る」である。まず、天の存在を知らないのが大半であるが、天が存在し、天知る故に天罰、制裁が与えられる。そして天知るから「させられる」、証拠を出すように仕向けられる。天に目こぼしは、無い。累犯して、反省が無ければ、事故死などで処刑になることもある。

── 出典:諸法の原理原則 第5章「万有、諸行の基準」99〜100頁

〔譬え〕盲亀浮木(もうきふぼく)──大海の底に住む目の見えない亀が、百年に一度だけ海面に浮かび上がる。その大海にただ一つ、穴のあいた流木が漂っている。亀が浮上したとき、ちょうどその穴に頭を入れる──それほど稀なのが、人として生まれることだ。(涅槃経・雑阿含経)

人間の尊厳とは何か

人間には、他の生物とは違う尊厳がある。喜怒哀楽の感情を表し、意志・計画性を持ち、社会を形成して生産活動をする。創造力・思考力・組織力・計画力・計算能力など、動物にはない創造能力を持ち、文化・文明を創り出す。当来佛は、その尊厳に価する行為として、次の三つを示された〔出典:形而上学のすすめ(三) 第二章「子孫へ」〕。

① 敬神崇祖(神を敬い、祖を崇める)の念を持つ。

② 「感謝報恩の心」を忘れない。

③ 社会公共に奉仕する。

逆に、反社会的な行為や、社会・公共に寄生する生き方は、尊厳にふさわしくない。ただ食い、生き延びるだけなら、尊厳も人間的価値もない、と説かれる。②の「恩」は、次に詳しく見る。

ここまで見てきた人間の価値を、原典の「価値の条件」を軸に、図22にまとめる。

図22の読み方

 図22は問いから始めて下へ読む。問いは「人間の役目は何か。何の目的のために生きるのか」。神佛の答えは「それは、世の中に必要だからだ」「世の役に立つためだ」「それが生き甲斐だ。生かされている価値だ」。「甲斐」とは「価値」のことである。原典は価値を三つに分ける ──「1.存在価値、2.必要価値、3.使用価値が有る」。存在価値は「分」で、「『分』とは、その存在について、大自然より分け与えられた天賦の使命であり、その使命があるから存在価値がある」。必要価値と使用価値は度が変わる価値で、「価値とは、必要度が決定する」。その度は「価値の条件」と四適による〔出典:諸法の原理原則 第五章 第二理/第三章 第三理〕。

図22 人間の価値 ── 価値の条件で見る(第十章)
図22 人間の価値 ── 価値の条件で見る(第十章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

四恩に感謝する

恩を知れば、それは感謝に変わる。神佛・先祖・社会・物品は、いずれも自分の命や生活を成り立たせ、潤いや活力を与えてくれるものである。この四つが「感謝」の向かう先であり、その恩に応える行為の四つ ── 感恩・知恩・謝恩・報恩 ── を「四恩」という。

【原典】感謝の四つの対象(原典は「四恩」と呼ぶ) 『佛は、かく申された2』

四恩:神佛(大自然)の恩、先祖(先輩)の恩、物(身体)の恩、社会(環境)の恩。

── 出典:佛は、かく申された2(苦の五原因の項・昭和三十七年十二月)

大切なのは、恩には“対象(誰に・何に恩があるか)”と“行為(それにどう応えるか)”の二つの軸があり、本書が「四恩」と呼ぶのは後者の四つだ、ということである。原典『善戒、禁戒』の一行が、その区別をそのまま述べている。

【原典】恩の対象と行為の区別 『善戒、禁戒』

恩:神佛、先祖、社会、物の四つに対して、知恩、感恩、報恩、謝恩という恩の行為がある。

── 出典:善戒、禁戒

つまり「四つの感謝(対象)」×「四恩(行為)」の二軸で、四つの相手それぞれに四つの恩の行為で応じる、という構造である。その「行為」を、原典はこう定義する。

【原典】恩と、知恩・謝恩・報恩 『実践哲学の学び(形而上学その三)』

恩とは、因の心。一番根元にかえること。知恩は、有難味を知る。謝恩は、有難味に感謝する。報恩は、恩に対し、態度で示す。報いる。

── 出典:実践哲学の学び(形而上学その三)「恩と知恩、謝恩、報恩」

冒頭の「恩とは、因の心。一番根元にかえること」が示すとおり、恩は因縁果(原因にさかのぼる認識)と一体で語られている。

〔編者注〕本書は「四恩」を恩の行為の四つ(感恩・知恩・謝恩・報恩)の意味で用いる〔出典:善戒、禁戒「恩:神佛、先祖、社会、物の四つに対して、知恩、感恩、報恩、謝恩という恩の行為がある」〕。感謝の向かう先である神佛・先祖・社会・物の四つは「四つの感謝」と呼び分ける。『諸法の原理原則』第五章 第三理の細目「恩と知恩、謝恩、報恩」98頁は三つ(知恩・謝恩・報恩)で説き、「感恩」の語は無い。『佛は、かく申された2』は対象の四つを「四恩」と呼び、『心掛け』『実践』は知恩・感恩・報恩(・感謝)の四つで説く。原典の言い方は一つではない。

図23の読み方

 図23は縦横の二つの軸で読む。縦は「四つの感謝(恩の対象)」=誰に・何に恩があるかで、「神佛(大自然)の恩」(命と法則を与えられている)、「先祖(先輩)の恩」(身体と学びを受け継いでいる)、「社会(環境)の恩」(生活を支える人と仕組み)、「物(身体)の恩」(衣食住・物品・身体)の四つ。横は「四恩(恩の行為)」で、「感恩」=「恩があることを知ったら、心に感じる」、「知恩」=「有難味を知る」、「謝恩」=「有難味に感謝する」、「報恩」=「恩に対し、態度で示す。報いる」の四つである。恩の根は「恩とは、因の心。一番根元にかえること」。注記のとおり「感恩」は『諸法の原理原則』には無く、四つで説くのは『善戒、禁戒』『心掛け』である〔出典:善戒、禁戒/諸法の原理原則 第五章 第三理の細目 98頁〕。

図23 四つの感謝(恩の対象) × 四恩(恩の行為)(第十章)
図23 四つの感謝(恩の対象) × 四恩(恩の行為)(第十章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

恩に応えることは、そのまま「感謝と責任」につながる。原典はこう説く。

【原典】第五章 第三理 感謝と責任の念 『諸法の原理原則』

── 全文は 第二章「法則は秩序のためにある」 の項に既出(諸法の原理原則 95頁・標題と頁は図6)

恩に応える四恩の行為が、世の役に立つ行いとなり、人間の尊厳へとつながる。その筋を図24に示す。

図24の読み方

 図24は、価値の条件に四恩を重ねた図である(編者の見方)。上段は「四つの感謝(恩の対象)」で、「神佛(大自然)の恩」「先祖(先輩)の恩」「社会(環境)の恩」「物(身体)の恩」。原典は「孝を知る者は、天地の恩を知り、社会の恩を知り、物の恩を知る。天地の恩を知る者は、神佛の恩を知るものなり」と説く。下段は恩に応える四段で、一「感恩」=「恩があることを知ったら、心に感じる」、二「知恩」=「有難味を知る」──「恩を知り、恩が分かれば感謝の心が生まれる」、三「謝恩」=「有難味に感謝する」──「感謝と責任は、表裏一体のものである」、四「報恩」=「恩に対し、態度で示す。報いる」。恩を知ることが次の行動に結びつく〔出典:善戒、禁戒/諸法の原理原則 第五章 第三理の細目 96〜99頁〕。

図24 価値の条件に四恩を重ねる ── 恩から行動へ、行動から尊厳へ(第十章)
図24 価値の条件に四恩を重ねる ── 恩から行動へ、行動から尊厳へ(第十章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)

良し悪しの規準 ── 善とは何か

物事には善悪・良否の規準がある。「良し悪し」より「善し悪し」の方が、奥行きのある考え・行動だ。「善し」とは「善」のことで、善とは“社会公共に役に立つこと”をいう。その善の規準が「法・時・所・才に適うこと」──四適である。

・法:形而上・形而下の法則にかなう

・時:タイミング・時勢にかなう

・所:場所・位置にかなう

・才:相手の能力・状態にかなう

この規準に従えば、時間・金銭・労力の無駄や、不要な苦・重複をなくして効率的だ。さらに、タイミング・場所・相手の状況に神佛の力が作用してくれれば、案外簡単に、適確で善い結果が出せる。この善悪の規準を、原典はこう定める。

【原典】第五章 第一理 万物、諸行に善悪の基準がある 『諸法の原理原則』

── 全文は 第三章「当来佛の出現が明かしたこと」 の項に既出(諸法の原理原則 90頁・標題と頁は図6)

〔編者注・訂正〕正本ではこの原典に「(感謝報恩の法則…)」という別法則の注記が付いていたが、内容が一致しないため、上記のとおり善悪(四適)の注記に訂正した。

では、なぜ神佛は人に「善の心だけ」を作られなかったのか。当来佛は、たとえで答えられた。

【原典】善の心 『佛は、かく申された2』第一部 1.善の心

「自動車の運転でも、『制限速度が四十キロだから、何処までも四十キロで行けばよいか』というと、そうではない。それでは必ず歪が起こる。また『制限速度が六十キロだから、初めから六十キロしか速度が出ない様な車を作ればよい』と言う事と同じだ。(六十キロしか出ない車では、いざというときに動きが取れない)雑草でも同じ。必要に応じて性質、才能(性分)を伸ばす。必要な所に、必要な性分を発揮する事。四適に適ってなして行けば、その様な事を考えなくてよい」

── 出典:佛は、かく申された2 第一部 1.善の心

さらに当来佛は、善悪そのものの性質について、こう説かれた。

【原典】性善説・善と悪について 『佛は、かく申された2』

善悪は、同時存在なり。性善、性悪説は、成立しない。(昭和四十四年六月)/人は、善と悪と両方持っている。どちらを表に出すかだ。

── 出典:佛は、かく申された2「説法:性善説とは」「説法:善と悪」

まとめれば、善悪は固定的・絶対的なものではない。①善の基準は「四適」(一律固定は、速度制限のたとえのとおり歪を生む)、②善悪は「同時存在」で性善説・性悪説はいずれも成立せず、③人は善悪の両方を持ち、どちらを表に出すかである。──自分が「善かれ」と思ってした行為でも、四適を外せば善い結果にならず、逆に表面的には「良くない」と見えても、法・時・所・才に適っていれば善い結果を生む。

善の規準は、そのまま日々の行動の指針となる。原理原則に照らした指針が、三法印の実践にどうつながるか。それが図25である。

図25の読み方

 図25は二段に読む。上段は原典の基準で、「善悪とは、箇個の都合を基準としての良、否ではない」。「多衆の中の箇個として、衆に対し、即ち社会、公共に対しての影響の良、否が基準となる。そうしてそれが『法、時、処、才』の四事に適うか、否かなのである」。動機で見ると、善は「羊のように全て捧げ、社会公共、世の為、人の為に貢献して善なのである」、悪は「社会公共を後にして、自分が先になった時、悪になる」。「返還利得を考え、計算に入れて作す場合は…『偽善』となる」。下段は行動の指針で、四適に適うかを見る。「四適の条件を備える度合の適、不適の度が、良否の度、即ち善悪の度となる」〔出典:諸法の原理原則 第五章 第一理 90〜92頁〕。

図25 善の規準を行動の指針に ── 動機・四適・三法印の実践(第十章)
図25 善の規準を行動の指針に ── 動機・四適・三法印の実践(第十章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)
『大自然の法則と人間の使命』正本v127の「第十章」を、本文の文字を変えずに掲載しています。精査前の暫定版です。金枠=原典(出典付き)/灰枠=〔編者注〕。図は正本の図をそのまま載せています。
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