章29

教本『大自然の法則と人間の使命』

第二十九章 戒とは何か

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凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『善戒、禁戒』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。

戒の実意

「戒(かい)」「いましめ」と聞けば、厳しい苦しいことで、怖い、嫌だと考える。しかし戒の実意(ご意趣)はもう少し深いもので、われわれを守るためにある〔出典:善戒、禁戒「戒とは」〕。

法が在るからその効果を示す「戒」が出来、戒を実施するからわれわれは守られる。戒と法は裏表の関係で、法則と同様に、戒によって守られて生活が出来るということを知らなくてはならない。戒を守らない事が命取りになる場合だって有りうる。

釈尊が亡くなった時「これで楽になった。厳しいことを言われなくて済むから」と言った弟子がいたという。このように「自分たちがしたいことが、自由に出来ない」のが戒だと考えるのは、大きな誤りである。

【原典】戒は御守護 『善戒、禁戒』

「戒は、徳を高めるための修行」「徳が有れば、戒は不要になる」(当来佛)

(徳の高い人は日常でぴしゃりぴしゃりやられる。徳の無い人は一度にドンとくる)

── 出典:善戒、禁戒「戒は御守護」

原典はここで、徳とは「自然の法則に適ったことをする」「社会公共に適うことをする」「世のため人のために言う、行うこと」であり、「徳の結果が福」であると添えている〔出典:善戒、禁戒「戒は御守護」〕。

戒と律

戒は、自然法(道徳)に基づく、大自然(神佛)による規整、制約、制限、そして裁きで、戒めは大自然が行われる決まりである。別言すれば、自然調節制御作用の一つである〔出典:善戒、禁戒「戒と律」〕。

律は、人為法(公徳)に基づく、人間が創り、人間が見守り、人間が裁き制裁するきまりである。旧佛教では戒と律を同じように捉えたが、当来佛は戒と律を分けられた〔出典:善戒、禁戒「終わりに」〕。

これまで戒といえば、出家等、仏道、宗教修行上の戒を言った。当来佛は在家の教えを説かれ、ここで示す「戒」は、在家の一般人が守るべき日常生活の中での決まり事である〔出典:善戒、禁戒「在家の戒」〕。

戒は罰するためだけのものではない。悪をいましめる、過ちのないように注意する、告げる、さとす、そして善を為さしめる。それが戒で、大自然(神佛)の願いでもある。善行、善業という善に対しては報奨も生じる〔出典:善戒、禁戒「在家の戒」〕。

【原典】戒は方便 『善戒、禁戒』

「ワシは法則が有るぞ、法則はこうなっているぞと説くまでだ。それを知ってどうするか?は、あんたたちの事だ」(当来佛)

「戒が多すぎると、小乗になる」と仰せだ。(中略)法を学び、規則を知るがゆえに、自ら律していくのが、形而上学の姿勢である。

── 出典:善戒、禁戒「戒の施行・戒の偏向」

戒が多すぎれば、規制ばかりが気になり、自分で考え判断できなくなる。決まりに触れなければよい、決められていない事は守らなくても善い、ということになりかねない〔出典:善戒、禁戒「戒の偏向」〕。

そこで自律と他律がある。自律は、自らが自分の使命や分限を知り、他から言われるまでもなく勧んで物事をする。また、しないように気を付ける。他律は、知らない、気づかない、忘れている場合に、家族や仲間等、他人の口を借りたり、知らせ、合図をかけていただき、実行に進む。大自然(神佛)がそのように仕向けていかれる〔出典:善戒、禁戒「自律と他律」〕。

世の乱れと戒の必要性

旧佛教の阿弥陀経・法華経には「佛は、五濁の悪世相に、社会の浄化・衆生救済のために、化身として世に出現する」とある。

五濁とは、劫濁、命濁、煩悩濁、衆生濁、見濁の五つの状態である。それらが別々に現れているのではなく、混然として各所、各国に同時に現れてきている〔出典:善戒、禁戒「五濁」〕。

1. 劫濁(こうじょく):時代の乱れ。天変、地妖と刀兵災が起こるとされる。2. 命濁(みょうじょく):命の軽視、人を物扱いする唯物的考えから起こる。3. 煩悩濁(ぼんのうじょく):煩悩(慾)のために、不正行為、悪行、不道徳が盛んになる。4. 衆生濁(しゅじょうじょく):善悪の基準を知らず、悪業を悪とも知らず、礼節を知らない。5. 見濁(けんじょく):正見が出来ない、正道、正法を知らないために、正しく物事を見ることが出来ず、正しい判断が出来ない。

「五濁は、人間が人間の力を過信することから起こった」(当来佛)。世の乱れの修正も各自に課せられた「為さなければならない」役目であり、修正のために、またこれ以上の濁りが起こらないために、戒が必要である〔出典:善戒、禁戒「修正」〕。

戒の実意から、戒と律、戒は御守護、自ら律する姿勢、そして世の乱れまでを一枚にしたのが図60である。

図60の読み方

 図60は五段に読む。一段目は戒と律で、戒は「自然法(道徳)に基づく、大自然(神佛)による規整、制約、制限、そして裁き」、律は「人為法(公徳)に基づく、人間が創り、人間が見守り、人間が裁き制裁するきまり」である。二段目は、戒と法が裏表の関係にあること。三段目は戒は御守護で、「戒は、徳を高めるための修行」とされる。その下に、悪をいましめる、注意する、告げる、さとす、善を為さしめる、という戒のはたらきを並べた。四段目は自ら律する姿勢で、「法を学び、規則を知るがゆえに、自ら律していくのが、形而上学の姿勢である」。五段目は五濁で、その修正のために戒が必要とされる。

図60 戒とは何か ── 戒は御守護(第二十九章)
図60 戒とは何か ── 戒は御守護(第二十九章)(押すと画面いっぱいに拡大・もう一度押すと戻ります)
『大自然の法則と人間の使命』正本v127の「第二十九章」を、本文の文字を変えずに掲載しています。精査前の暫定版です。金枠=原典(出典付き)/灰枠=〔編者注〕。図は正本の図をそのまま載せています。
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