教本『大自然の法則と人間の使命』
第三十一章 禁戒──してはならない事をしない
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『善戒、禁戒』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
禁戒とは
戒は二種類に分かれる。一般に知られるしてはいけない禁止行為の「禁戒」と、しなくてはならない、するべきことの「善戒」である。一つは禁止、制限、戒めであるが、もう一方は要請、要求、強制でもある〔出典:善戒、禁戒「善戒、禁戒」〕。
大自然(神佛)の能きの定理として「正を祐け、邪を伏す(勧善懲悪)」と「衆利の優先」「利他先行」「帰依の度」がある。これを基に神佛の禁戒も定められ、戒の施行の度合い、基準は、その行動、心掛け、思いが善であるかどうかである〔出典:善戒、禁戒 第2部 第1章〕。
形而上的には、心で思う、考える「意」の部分や言葉に発するだけでも、規制、戒めがある。
「(人為の)法律とは、社会生活の上で最低限守らなくてはならない境界線を定めたもので、人はその最低限よりはるかに高いレベルで生活しなくてはならない」(当来佛)。「法に引っかからないから、大丈夫」という生き方は、戒のぎりぎりの線で善ではない〔出典:善戒、禁戒「法律(律)」〕。
してはならない事をしない ── 一般禁戒と五戒
一般禁戒は、1. 不邪道戒、2. 社会への混乱行為の禁戒、3. 報道、広報の禁戒、4. 賭博行為の禁戒、5. 投機行為の禁戒の五つである。一般戒の大本は、社会全体に害毒を流し、大衆を不幸に陥れる考え、主義、主張、動きで、正道ではない邪道(邪説、邪教、邪宗教)による〔出典:善戒、禁戒「一般禁戒」〕。
五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)は、2500年前、釈尊が在家の信者に対して示されたものであるが、大自然の法則であるから現代にも通用する。しかし、全て一方的に悪い、戒めになる、してはいけないことと考えるのは行き過ぎで、物ごとの基準をどこに置くかという判断が大切になる〔出典:善戒、禁戒「五戒」〕。
【原典】五戒の心 『善戒、禁戒』
「無益な事をするな!」と仰せだった。(中略)さらに、形而上的には意や口の部分が問題で「殺そうと思っても罪になる」「殺してやるなどと、軽はずみに口に出しても罪になる」ということだ。
盗みはいけない。人が知らなくても、見ていなくても、天が見ているから、いずれ制裁がくる。(四知の則:天知る、地知る、他知る、我知る)
── 出典:善戒、禁戒「五戒」
不妄語戒についても、「嘘と方便は違う。嘘は有益利でない。方便には救済という目的がある」(当来佛)と教えられた。また、知って行う罪と知らずに犯す罪は、知って行う罪の方が大きい〔出典:善戒、禁戒「不妄語戒」「罪の大きさ」〕。
個人的禁戒 ── 不邪命戒
個人戒とは、個人に特に示される戒であるが、特定して「貴方は、これとこれがいけない」などと、細かく示すことはできない。何度も注意を受ける、神佛からの指摘を受けるなどのことで基準を判断しなくてはならない〔出典:善戒、禁戒「個人的禁戒」〕。
「邪命」とは、正命でない、正しい生活でない生き方のことである。正命とは「分に応じて、それぞれの立場、地位、使命に応じた生活をすること」で、出過ぎない、やり過ぎない、また足りないのもいけない。これが貪、瞋、痴の三毒を離れることができる生き方である〔出典:善戒、禁戒「不邪命戒」「正命」〕。
不邪命戒の具体例として、1.不労所得戒(労せずして、働かずして得る所得、収入、利益)、2.不正所得戒(正しくない所得、収入、利益)、3.不当所得戒(正当でない、在るべきでない所得、過当な不適切な所得、収入、利益)、4.不法所得戒(不法な所得、収入、利益)が挙げられている。
しない方が善い事をしない ── 次禁戒
権利として法律には認められても、各自によって取得、行使してよい場合とそうではない場合が有る。責任の無い自由、平等の主張、過剰な権利、権限の主張、義務を行使しない権利の主張、権利の取得がそれである〔出典:善戒、禁戒 第2部 第2章〕。
一般的次禁戒は、1.法律内行為の戒(法律で認められているが、大自然の法則には抵触する行為や考え)、2.暴力(暴言)行為の戒である。「権利とは、法の範囲内である」(当来佛)。
他に伝える ── 化他の禁戒と謗法
見て見ぬふり、知っていて知らぬふり等、他人に干渉しない行為が増え、事なかれ主義が横行する。社会を良くするため、周囲を住みやすくするために、誰かが勇気をもって発言、忠告する必要がある。ただし、御神示による行作が大切である〔出典:善戒、禁戒「化他の禁戒」〕。
化他の禁戒の中で原典が取り上げるのが謗法である。間違い、間違った考え、無知から、当来佛の教え(法理、教え、戒)を謗る結果になるが、その罪の戒めは大きい。それを「謗法の罪」という〔出典:善戒、禁戒「謗法」〕。
【原典】謗法 『善戒、禁戒』
謗法とは、法を謗ること。つまり、教え、法則そのものや、それに関わる人や物事を悪く言う、ばかにする、けなす、教える人、学ぶ人を悪く言う、そして、助かるべき人に悪い影響をもたらし、救われる邪魔をする。
「謗法や禁戒を破ることを傍観した罪も大きい」(当来佛)
── 出典:善戒、禁戒「謗法・謗法の罪」
禁戒については、大自然によって功罪の采配がされるから、個人の業により制裁(罰)の度合いに差が有るのは当然のことである〔出典:善戒、禁戒「個人的禁戒」〕。
禁戒も、善戒と同じく三つの章に分かれる。それを並べたのが図62である。
図62の読み方
図62も三段に読む。一段目は「してはならない事をしない」で、一般禁戒の五つ、五戒、五戒の心、個人的禁戒の不邪命戒である。正命とは「分に応じて、それぞれの立場、地位、使命に応じた生活をすること」。二段目は「しない方が善い事をしない」次禁戒、三段目は「他に伝える」化他の禁戒と謗法である。いちばん下の枠が示すように、制裁の度合いには個人の業による差がある。

第七部の全体を、『善戒、禁戒』の組み立てに沿って一枚にまとめたのが図63である。
図63の読み方
図63は四段に読む。一段目は戒の分類で、善戒と禁戒のそれぞれが、第1章、第2章、第3章の三つに分かれる。二段目は二つの働きで、善戒は要請、要求、強制、禁戒は禁止、制限、戒めである。どちらも「身、口、意において実践しない事には、自分も善くならないし周囲も善くならない」。三段目は、第七章で見た、原理原則が主で戒が従という関係。四段目は魂磨きで、「永遠に前に進み続けるための方向や規制や限度を示すのが、この形而上の『法』であり『戒』である」。
