章34

実践書

第三十四章 体験から学ぶ法則

教本の対応: 教本『大自然の法則と人間の使命』第三十四章「体験から学ぶ法則」(図65・図66)

この教えは、聞いて終わる教えではなく、実践し、体験し、体得する学問である。本章は、体験が人を教え、確信を作り、人を救う道具になることを、原典と説法で確かめる章で、この書(実践書)の目的そのものにあたる。「私の体験」の欄を、この章の型で書く。終章へつながる。

凡例: 【原典】=原文のまま・出典つき/【説法】=説法の日付と題つき/【言及】=説法と原典の関係(● 語が一致 ○ 内容が近い ◇ 説法のみの言い方 ◆ 使い方が違う)/【実践】=日々の気配りと実践(案)/【私の体験】=書き手が書く

節135 体験が先 ── まず行動し、行き詰まり、問うて進む

教本の対応: 第三十四章 一・三・四「『させられている』の確認」「言葉だけの学びとの違い」「実践し、体験により体得するしかない」・図65 左

【原典】「この学びの方法は、実踐することが大切で、まずご神示をいただいて行動するのだ。そうすれば、必ず行き詰る。そして、行き詰まった事柄、分からない事柄を、自分から積極的に質問しないと進展は無い。」

── 『實踐哲学の学び(その2)』「ご神示の基本」

【原典】「神佛のご指示を仰ぎながら学ぶのであるから、人間の知恵や知識だけで行う言葉だけの学び(講習会、セミナー)とは、確然とした違いがある。」

── 『實踐哲学の学び(その2)』「ご神示の基本」

【原典】「実践し、体験により体得するしかない」

── 『形而上学のすすめ(一)』

【原典】「特に形而上学は、実践、実行による「体験」が大切だ。」

── 『形而上学のすすめ(一)』

【原典】「必ず実践という体験が必要で、それにより、神佛の実在、お力、法則を体得する。これが基礎的な修行である」

── 『形而上学のすすめ(一)』

【説法 2026/2/17「実践することにより、学べる」】実践してからが、法則の「学び」の始まりである。

【言及】● 原典「まずご神示をいただいて行動するのだ」と同じ筋(「実践」の語が一致)。説法は、実践してからが学びの始まり、と言う。

【説法 2025/11/25「気づき」】例えば、「ご神示」をさせて頂くことで、物事が上手く行かなくなり、行き詰まり(方便)、

【言及】● 「行き詰る」「方便」は原典の語。原典は「必ず行き詰る」と述べ、説法は、ご神示で物事が上手くいかなくなる行き詰まりを「方便」と言う(○)。

【気を配る】行き詰まりがない時は、まだ行動していない証拠。行き詰まったら、分からない事柄を自分から積極的に質問する。
【実践】今日、一つ、ご神示を頂いて行動する。行き詰まった点を一行書き、質問する(絵姿を頂く・掘り下げを頂く)。

【私の体験】

手がかりの問い: 行動して、行き詰まったことは何か。質問して、進んだか。

日付:   出来事:

節136 実行しなければ、同じ知らせが繰り返す

教本の対応: 第三十四章 五・六「聞くだけ・知るだけでは何も得られない」「気づいただけでは、知らせは終わらない」

【原典】「聞くだけ、知るだけで実践しないから、知らせの意味を理解したけど、実行していないから、実践の仕方が違うから、実践の心掛けが違うから、実践の度合いが少ないから、(量に比例)自分勝手な解釈、自分流の理解、実践をしているから、等」

── 『実践』「不実践」

【原典】「確信していないから、信じられないから、思案する。聞く機会が少ないから、信じられない。体験していないから、「そんな事あるか」とはじく」

── 『実践』

【原典】「似たような知らせ、同じ知らせが続く時は、前の知らせの意味を実行していない場合や知らせの意味が解け切れていない時がある」

── 『實踐哲学の学び(その2)』「同類の知らせ」

【原典】「形而上の問題解決の場合、一度の問いとその答え(ご神示、絵姿)で全てさとれ、それで解決するものではない。」

── 『實踐哲学の学び(その2)』第三部「さとり」

【原典】「一度教えて頂くとそれを実踐して、次のさとりがあり、さらに進んで行くのである。」

── 『實踐哲学の学び(その2)』第三部「さとり」

【原典】「だから、さとらなくては、ご意趣を掴まなくては善くならない、次に形が変わって、知らせとして出てくる」

── 『実践』

【説法 2026/2/17「実践することにより、学べる」】実行(実践)しなければ、(問題に)気付かないし、何一つ学ぶことは出来ないのである。

【言及】○ 原典「聞くだけ、知るだけで実践しないから…」と近い。説法は、実践しなければ問題に気付かない、と言う。

【気を配る】気づいただけで終えていないか。同じ知らせが続くなら、前の知らせの意味を実行していない。
【実践】同じ出来事が続いたら、前に気づいたことの実行を一つ確かめる(第十五章・第二十一章と同じ向き)。

【私の体験】

手がかりの問い: 繰り返している出来事は何か。前に気づいたことで、まだ実行していないことは何か。

日付:   出来事:

節137 確信は体験から ── 奇跡を求めない

教本の対応: 第三十四章 七・八「体験すれば、確信が持てる」「奇跡を願う信仰は、形而上学的ではない」

【原典】「体験すれば自信がわく、体験すれば、確信が持てる。「御神示はすごい」「やっぱり、絵姿もいただいて良かった」など、感動すれば、確信になる」

── 『心掛け』「実行していない」

【原典】「通常は、本人の信じる度合い、理解度、本人の実踐度に応じて,効果結果を生じられるものである。」

── 『實踐哲学の学び(その1)』(原文の読点は「,」)

【原典】「「神、佛は能率給」と当来佛は仰せだった。」

── 『實踐哲学の学び(その1)』

【原典】「何度か行き詰まり、不信感、疑い心を持ち、そして、それを払拭し、確信しながら前に進んで行くのである。学びは修行である」

── 『實踐哲学の学び(その1)』

【原典】「時に、奇跡を求めて集まる者も居たが、奇跡を求めては、奇跡を得られない。法を求めると奇跡が起こった」

── 『形而上学のすすめ(一)』第3章

【原典】「奇跡ではなく、当たり前の事として誰でも体験することが出来るから、納得できる。」

── 『形而上学のすすめ(一)』「この教えを学ぶ理由」

【説法 2026/2/23「法座とは」】「法座」には必ず、気付きと、納得、確信、さらに将来への希望が用意してある。

【言及】● 「確信」は原典の語。説法は、法座には必ず気付き・納得・確信・将来への希望が用意されている、と言う(○)。

【気を配る】確信は一足飛びに来ない。行き詰まり・疑いを体験の中で払拭する往復が、確信を作る。奇跡を待たず、当たり前の実践を続ける。
【実践】行き詰まりや疑いが出た日を、そのまま記録する。払拭できた日に、何が変わったかを書く。

【私の体験】

手がかりの問い: 疑いや不信が出た日と、それを払拭できた日を、一つずつ書く。

日付:   出来事:

節138 体験は人を救う道具になる ── 自分の体験、自分の確信を話す

教本の対応: 第三十四章 九・十「真摯な学びが守護を呼ぶ」「体験は、人を救う道具になる」・図65 右

【原典】「人間の体はアメ細工だ。どうでもなる。神様に力がないのではない。助からないのは、人間の方にそのお力を頂く覚悟がないのだ」

── 『証言録』(当来佛)

【原典】「何を教える。法を教えるのだが、「自分はこのように学びました」という姿勢で、何よりも自分の体験であり、自分の確信、自分が善くなってきたことを他に話す、教える」

── 『実践』

【原典】「確信をもって、本気で、また学ぶつもりで教える。知ったかぶりはいけない。分からない時は分からないという勇気。私は、このように学びました。私はこうさとりましたという姿勢」

── 『実践』(当来佛)

【説法 2026/6/2「喜」を運ぶとは?】そして、連絡が取れ、自分の体験や他人の体験を通して、少しでも考え方の転換のための援助が出来る。

【言及】○ 原典「自分の体験であり、自分の確信、自分が善くなってきたことを他に話す、教える」と近い。説法は、自分の体験や他人の体験を通して、考え方の転換の援助ができる、と言う。

【気を配る】体験を語る時は、「自分はこのように学びました」「私はこうさとりました」の姿勢で。知ったかぶりをしない。分からない時は、分からないと言う勇気を持つ。
【実践】自分の体験を、評価と誇張を入れず、事実と、さとったこと・実行したことで、書く。教える形でなく、「私はこうでした」の形で話す。

【私の体験】

手がかりの問い: 自分の体験を、「私はこのように学びました」の形で、一つ、短く書く(これが、この書の「私の体験」の型)。

日付:   出来事:

体験の書き方

体験の書き方(一件ごと): 日付/出来事(評価を入れない)/行動(ご神示を頂いたか)/行き詰まりと質問/さとったこと/実行したこと/確信になったか/「私はこのように学びました」の一文。

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