実践書
終章 二万年の教えを生きる
教本の対応: 教本『大自然の法則と人間の使命』終章「二万年の教えを生きる」(図67)
この教えは、二万年続く教えの、緒に就いたばかりである。当来佛にはもう遭えないが、説かれた教えには遭うことができる。終章は、縁を結び、実践し、他を救う役目までの一本の流れを、原典と説法で確かめ、これまでの章の体験を一つにまとめるための章である。
節139 この教えは緒に就いたばかり ── 次の出現は二万年後
教本の対応: 終章「この教えは緒に就いたばかり」・図67 一段目
【原典】「この行も、「2万年続く」教えのために、緒(ちょ)に就(つ)いたばかりである。先は長い。」
── 『掘り下げ(改訂版)』第一部「はじめに」
【原典】「約五十年間、教えを説かれ、「次の出現は二万年後」と予言され、平成二十年一月九日、遷化された。」
── 『實踐哲学の学び(その1)』
【原典】「しかし、その当来佛にはもう遭えない。」
── 『実践』「遭えない」
【原典】「それでも、その当来佛が説かれた教えにはあうことはできる。」
── 『実践』「遭えない」
【説法 2026/3/19「未来は、自分自身の手中にある?」】今、「大自然(当来佛)」が再出現され、「新たな教え」を説かれている。
【言及】◆ 原典は、当来佛は「次の出現は二万年後」と予言し、平成二十年一月九日に遷化、と述べる。説法は、今「大自然(当来佛)が再出現され」説かれている、と言う(第三十二章の言及と同じ点。事実の並置のみ)。「二万年」の語は、説法(337本)に見つからない。
【私の体験】
手がかりの問い: 教えに遭ってから、今日までの歩みを、どこまで来たかではなく、「最初の一歩」として書く。
節140 実践哲学の本質 ── 実践可能で、実践によって深まる
教本の対応: 終章「実践哲学の本質」・図67 二段目
【原典】「当来佛は、この形而上学を「実践哲学」と命名され、実際に実行し生活に役に立つ、すると生活が改善され、生き甲斐を持てる学問ということを強調された。」
── 『実践』「はじめに」
【原典】「「実践可能で」「実践するための」、また「実践によって深まり」「実践によって効果が上がる」哲学、だから実践哲学であると。」
── 『実践』「はじめに」
【私の体験】
手がかりの問い: この書の各章で実践したことのうち、生活が改善したと思えることは何か。
節141 あなたへのメッセージ ── 縁を結び、実践し、他を救う
教本の対応: 終章「あなたへのメッセージ」・図67 三段目
【原典】「人として日本に生まれ、この学び、法則に遭え、理解するのは奇跡に近い。」
── 『実践』「ご利益」前
【原典】「それは「法縁」で、「先祖の余慶である」と、当来佛は教えておられる。」
── 『実践』「遭えない」
【原典】「いくら縁が有っても、自分で結ばないと救われない。縁とは、自己と神佛の力である」
── 『実践』「遭えない」(当来佛)
【原典】「「自己と神佛の力」とは、自分で求めようとする力と神佛が業に応じて能いて下さり、力を出してくださるという意味だ。」
── 『実践』「遭えない」
【原典】「知ったら、深め、実践し、さらに、教え、他を救う役目が有るのだ。」
── 『実践』「遭えない」の前
【説法 2026/9/26出遭う、それは「縁」!】「形而上学の学び(大自然の法則)」と遭う、それも今「当来佛」が出現され、伝え残された「学問」に遭遇することは、奇跡の上のさらなる奇跡ではないでしょうか?
【言及】● 「奇跡に近い」(原典『実践』)と同じ筋(語「奇跡」が一致)。説法は、教えに遭えたことを「奇跡の上のさらなる奇跡」と言う。
【説法 2025/12/3「大自然の法則は、宗教ではない】それぞれ来る者によって、動機や気持ちは異なるが、縁(法縁)があって「法座」の場に来させられている。
【言及】● 「法縁」は原典の語(『実践』「それは『法縁』で」)。説法は、法座に来ることを、法縁があって来させられている、と言う。
【私の体験】
手がかりの問い: 教えとの縁を、自分から結んだ日はいつか。その後、何が変わったか。
体験の書き方
体験の書き方(一件ごと): 日付/縁を結んだ行い/この書のどの章の実践か/生活の変化/「私はこのように学びました」の一文。