2026年10月5日(月) 学び・実践
「ひたすら、させて頂く気持ち?」
「ひたすら、させて頂く気持ち?」
昨日は、南草津の法座が行われました。
形而上学(大自然の法則)を、長く学んで来られた方、今から学びたいと参加された方、そんな皆さんにお聞きします。
なぜ学びたい、学ぼうと、思われましたか?
この学びは、新旧に関わらず、一人の人間として常に考え、心しなくてはならないことがあります。
それは、「求める」という姿勢と、どうしたら変われるか?という問いです。
私たち誰もが、生きるためには人との関わりをなくすことは不可能なことで、
その関わり方の縮図が、「形而上学の学びの会」なのです。
この場で、生き方の基本を知り、学び、新たな展開が出来る。(理外の利)
学びながら一人の男、女、人として家庭や職場でどう在るべきか?を、真剣に考えていますか?
重要なのが心で「人間は感情の動物」、自分の「感情(六情)」が動くことで、物事の善悪が決まる。
心掛けは、相手の気持ちに向き合いながら生きることが大切で、自分は相手に「どう在るべきか?」または自分の周りにいる、家族、人たちと「どの様に、生きていけば善いのだろうか?」「どの様な、考え、思いを持たなくてはならないのか?」と、大自然に問う気持ちがありますか?
一回や二回ではなく、さらにその上を「教えてもらいたい」もっと「聞かせて頂きたい」と、それが、求めていかなくてはならない「願い」にならなければならないのではないでしょうか?
願いには、変わりたい、変えよう、善くしたいという目的がある。
まだまだ無限の可能性が有り、その上に思わぬ展開も待っている。
何もしない、何も考えない、善い話を聞いて、唯、自分の生活を良くしたいと考えるのは「願い」ではなく、ただの欲望、望みで、学んでも何も変わることはない。
大自然は言う、何かを叶えたい、このようにさせて頂きたいと思うから、何度も参加し、繰り返し聞き、深く問い、「大自然」のお考えを知り、それに向かってひたすらお伺いを立て、努力をしていくのではないか?
そこには、我計等、自我は全く入れてはならないのではないでしょうか?
もし、まだ「それでも…」「自分はこうしたい…」「このために生きている…」という自我が強くあるのなら、学べていないし、大自然のことが全く分かっていない。
そして、まだまだ「学ぶ心」が出来ていないのではないか?