神を掴む道

当来佛の教えを心で読む

ただ一人歩き出す

これまで私は勘違いをしていました。原理原則や法則の知識を身に着ければ楽になると。しかし、それは逆でした。また霊観修行を身に着ければ楽になると。しかし、これも逆でした。では二つの両輪を回すがごとくの修行ならどうでしょう。それでもうまくいきません。何が間違っているのでしょうか。

そして私は気が付きました。原理原則や法則も霊観修行も神を掴む道に必要なもので、その修行そのものが目的ではないのだ、と。

これに気付いたことで、私の教本は一気に趣を変えました。タイトルを、「当来佛の教えを原理原則で読む」から「当来佛の教えを心で読む」に変更します。