教本『大自然の法則と人間の使命』
第六章 この学びを生活に活かす方法
凡例:金枠=原典(暗記対象・出典付き。主に『実踐哲学の学び(その2)』『諸法の原理原則』に依る)/灰枠=〔編者注〕・譬え・具体例(原典の言葉ではない)/〔出典:…〕=地の文中の典拠。教義は不変、原典は実在テキストからの引用のみ。
苦は、罰ではなく知らせである
人が生涯ぶつかる苦しみは、古来「貧・病・争」(お金の困窮・病・人との争い)に集約される。原典も、生きていくための苦について「それは、貧、病、争で、顕(あら)わされるのではないか?」と説く〔出典:心掛け「苦の種類」〕。その苦の根と、苦を糧にする道は、第九章で見る。私たちは普通、薬を飲み、もっと働き、相手を説得する──という目に見える手段だけで片づけようとする。しかし同じ問題が繰り返されるなら、それは形而下の手当てだけでは足りない、という合図である。
前章までに見たとおり、出来事に偶然はなく、すべては「させられている」=知らせだからだ。この支柱は、第一章の原典に据えられていた──「一切万有は、大自然の意趣により、産み出される。だから、あらゆる現象(出来事)には、皆、何らかの意味、大自然の意図がある」〔出典:諸法の原理原則 第一章「実在」19頁・第五理〕。
だから、苦を「罰」と受け取ればただ耐えるほかないが、「知らせ」と受け取れば、「何に気づき、どこを直すか」という道が開ける。その具体的な扱い方が、次の三段──三法印である。
三段の実践 ── 三法印
形而上学を生活に活かすとは、知らせを次の三段で扱うことである。
① 知らせと受けとる──目の前の不運や「相手のせい」で止めず、「大自然が自分に何かを教えている」と受けとる。
② 御意趣を解く──「この出来事で、神佛は何を伝えようとしているのか」を読み解く。ここで物差しになるのが「正教の条件」である。
③ 実践してさとる──解いた意図に沿って行いを改め、知らせを根から解消する。当来佛は、さとりには「解・悟・覚」の深まりがあると説かれた。
【原典】当来佛の三法印 『実踐哲学の学び(その2)』
一、(すべての事象は神佛に)させられている。/二、(神佛からの意図があり)知らせの解明。/三、(神佛にその意味を問う)ご神示による解明、行動。
── 出典:実踐哲学の学び その2「さとりの検証」・当来佛の三法印
〔編者注〕 旧佛教の四法印/三法印の数え方(一切皆苦を数に含めるか)と、当来佛の三法印がそれと独立の独自の教えである経緯は、第一章の〔編者注〕を参照。

独りよがりを防ぐ物差し ── 正教の条件
第二段の「意図の読み解き」が「自分の思い込み」に堕ちないために、第十八則「正教の条件」がある。これには二つの側面がある。
・教法の三位一体:霊観(ご神示・絵姿で受けるひらめき)・法理(教え・道理)・現実(目の前の現象)──この三つが一致して初めて、正しいさとりといえる。一つでも欠ければ、それは独断である。
・正法の三具:真の教えは、誰にでも当てはまる普遍性、理にかなう妥当性、確かに効く絶対確実性を備える。
【原典】第二部 第十八則 正教の条件 『諸法の原理原則』
── 全文は 第一章「宇宙は一つの『決まり』に貫かれている」 の項に既出(諸法の原理原則 134〜135頁)

ここまでの三段と正教の条件、そして第七章で見る貧・病・争の実例がどうつながるかを、図16に一枚でまとめる。
図16の読み方
図16は上から下へ読む。上は「苦が起きる」で、「貧(お金の困窮)」「病(病気)」「争(人との争い)」の三つ。中段が三法印の三段で、「① 知らせと受けとる」=「不運や『相手のせい』で止めず、『大自然が自分に何かを教えている』と受けとる」、「② 御意趣を解く」=「『この出来事で、神佛は何を伝えようとしているのか』」、「③ 実践してさとる」=「解いた意図に沿って行いを改め、知らせを根から解消する」。下は②の物差しで、「正教の条件 ── 教法の三位一体」。「三つが一致して初めて、正しいさとり。一つでも欠け・ズレれば独断」である。霊観の入り口が「ご神示・絵姿」であることも示した〔出典:諸法の原理原則 第十八則/実踐哲学の学び(その2)〕。最下段には、貧・病・争を解く順番を、新ご神示の文で添えた。人間は「貧」から解こうと考えるが、大自然の理は違い、まず「争」が解決しないと「貧」は解決させてもらえない〔出典:新ご神示 第五部 補足 第5章 161頁〕。

三段の実践と二つの中心(教法の三位一体・正法の三具)、そして神佛の能きがどう巡るかを、第二章の図8で改めて確かめておく。

つまり、苦(貧・病・争)を知らせと受けとり、正教の条件を物差しに意図を解き、実践してさとる──この三段が、形而上学を「学ぶ」だけでなく「生活に活かす」ということである。第一章から述べてきた「信じ込むのではなく確信していく」という姿勢は、この日々の実践のなかで、一つひとつ確信に変わっていく。