2026年7月2日(木)「学びをする?それは、心で決まる」

学び・実践

「学びをする?それは、心で決まる」

人の出会いには、道で通り過ぎる出会い、挨拶を交わすだけの「顔見知り」から、深く心を通わせる「親しい友人」まで、多様な形があるのではないでしょうか。
その出会いが、次にどのようになるか?それが「縁」であり絆になっていくのではないでしょうか?
出会いの中で、自分が「親しくしたい」と近づいても、それを相手が受け止めるか?逆に、自分が相手のことを受け止められるか?
お互いの心が繋がって行かなくては、挨拶を交わし、存在を認知するだけの「顔見知り」で終わってしまう。
また、会話が共通の話題、仕事上の関わりが成立して行くと「知り合い」になれることもある。
その中でも、お互いの価値観や感情を共有し、信頼関係で結ばれていくことが出来た時に知人から友人、親友、同志になっていくのではないでしょうか?
人との出会いは、言葉を交わす挨拶の「一言」が、既に「心」(サイコロボール)の繫がりになっている。
大自然は言う、人との出会いは「偶然」ではなく、「必然」なのである。
前世で関係があった者との出会いである。
なぜなら、因縁の類で「心磨き」をするための僧(天使)が大自然によって、順番に、適当な時期に、適当なところで用意されているのである。
あなたは、大自然の計画通りその人と出会い、出会いの中で学ばさせられ、生かされているのである。
人との出会いとは、いわば宿命である。
その第一番目が、用意された環境(家、地域)であり、出会わされる人(父母、兄弟)であり、全て大自然から与えられた、「ミッション(使命)」をクリアするために、この世に生(命)を受けさせて頂いたのである。
さらにあなたは、人を通じて今、その「ミッション」を与えている「大自然(当来佛)」に遭わされている。
そのことを、どのように考えているのか?
大したことではない、どこにでもある「セミナー」の一つだと思うのか?
見過ごして、やり過ごすのも人生、しがみついて学び、教えて頂き自分を変え運命の好転を図るのも人生。
正し、「心」を大切に出来るものだけが、今、この場で学べるのである。
蜘蛛の巣の一員になるか?落ちていくか?這い上がるのか?
「大自然」から、常に選択(洗濯)されていることに気付かなくてはならない。

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