2026年7月8日(水)「人のために生きる?には」

学び・実践

「人のために生きる?には」

現在の人は、他人に迷惑をかけないように、他人を困らせないようにしなくてはならないという意識が薄らいでいる。
目的のためには手段を択ばず、自分中心で他人の迷惑を考えない人が多い、増えているのではないでしょうか?
腹が立ったら傍若無人、その気になったら猪突猛進、関心が無い時は知らぬ存ぜぬ、少し上手く行けば意気揚々とするなど、人としての躾けの問題だ。
世の中は集団の中で動いている。自分だけではなく多くの他人が居る。
その他人と上手くやり、迷惑にならないようにするには「どのような事をすれば良いのか?」「どのような行動をとれば良いのか?大丈夫なのか?」など、相手の身になって考える気持ちを持っていないのではないでしょうか?
だから、迷惑が掛かっていても平気でおれる、何とも思わないから「自分は悪くない」と自己正当化したり、特権意識(自分は特別だから許される)を抱えていたりする傾向があるのではないでしょうか?
また、共感能力が欠如しているのではないでしょうか?
そして、「自分が悪くない」と考える人は、プライドが高く、嫌なものは見ない聞かない、自分を過剰に守ろうとする防衛本能が強く働いている。
もちろん、そのような人は感謝がなく、配慮にも欠け、何かあれば言い訳と何かの、誰かの所為にする。
どこまでいっても自己保身で他人の都合はお構いなしに行動する。
ところであなたは、自分だけのことだけを考えていませんか?
自分が楽しい、自分がやりたい事をすることだけを考えてきませんでしたか?
親、夫や妻、子供、親族の事を考えていますか?
もし事件を起こせば、これらの人に迷惑がかかることを知っていますか?
大自然は言う、この世に生(命)を受けたのなら、それはこの世に必要だからで、また必要とされるために、与えられた役目・役割がある。
その役目・役割を見出し、果たすために魂磨き(心磨き)をしていかなくてはならないのではないか?
それは、人のため、家族のため、世のためで、それが生かされる道でもある。
それには、「人の心」を知る努力をしなければならないのではないか?

*「させられた」を誤解している場合がある。
「何でもかんでも『させられた』で済むのなら警察は要らない。」(当来佛)
きちんと法的処置をしなくてはならないこともある。

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