「喜びを振りまく」ことが出来ますか?
あなたは、色々な場所において、相手の立場や気持ちを考え、気を配り、思いやることが出来ていますか?
また、その時、気が付いたことを自分から進んで「させて頂きたい」と思いますか?
そのような気持ちになることが、人としての「心遣い」ではないでしょうか?
しかし、人の心には感情があり、自分が行ったことに対して、良い、悪いの反応がある、また何も反応が無い場合がある。
「ここまでさせて頂いていた!」「(しんどい思いをして)あんなことまで、やったのに!」など、つい相手の(喜び)反応、善い結果を求めてしまう気持ちを持つことはないでしょうか?
つまり、見返りの気持ちです。
例え、相手を思う気持ちを持っていたとしても、いつの間にか自分が評価されたい、自分が褒められたい、何かで返ってくるだろう等の「慾」を持ってしまっているのではないでしょうか?
これでは、善い事、善の行為の効果は半減する。
例えご神示でさせて頂いたことでも、むしろご神示でさせて頂いたからこそ、そのような相手の反応になる場合もある。(知らせ)
そもそも「心遣い」とは、自分が喜びを得るために、させて頂くことなのでしょうか?それではどこか、考え違いが起こっているのではないでしょうか?
相手が気付く、気付かない、そのことでなく、少しでも役に立つ、喜んでもらえることを、さりげなくさせて頂く、それが出来ることに「喜び」を感じる、それが本当の「心遣い」、そして心の真の「喜び」ではないでしょうか?
「善は奉行」(当来佛)
つまり、善いことは、してやる、してあげるではなく、奉(たてまつ)って行う。行いを差し上げる。相手と後ろに居られる神仏を意識して「させて頂く」という意味である。(行供養)
さてあなたは、この様に親(義理)、夫や妻、子供、そして兄弟、姉妹などの家族に、何気ない「喜びを振りまく」ことが出来ていますか?
「してやった」「してあげた」のにと、何かしらの見返りを求めて居ませんか?
誰もが、「喜びを振りまく」気持ちをもてば、笑顔を絶やさない繫がりを持つことができるのではないでしょうか?
大自然は言う、「心遣い」を忘れては、「喜び」は消えていく。
毎日、何気ない、心遣いが沢山出来ていますか?