2025年12月9日(火)「学びは、実践」

学び・実践

「学びは、実践」

 

あなたが心の中で感じる、人物や仕事、出来事など何かに対する「意識

とは、あなたの持つ性質・性格によって感じたことが現れてくるものだ。(形而下)

「意識」

とは、気付くこと、分かること、見ている、触っているものが分かること。そして、何かしようとする事、何かに対する自分の見解などである。

(意識には、形而上、形而下両方ある:当来佛)

そして、「意識」

を決める性質・性格は、生まれた環境(宿命)と業(前世からの魂)によって、大自然から与えられたものである。

例えば、他人と会話の時、相手からの言葉に対して、自分の心が反応して「楽しい」「ちょっと違う」などを感じて会話をしていく。

自分の感じる「意識」が、喜、怒、哀、楽の情を生み、そして、自分の面子、慾、我などが加わり、相手に対しての反応(自分の気持ち、考え)となり、意識して感情のサイコロボールを投げる。

投げた後に、相手はこちらの反応を受け、またこちらに投げ返す。

それで相手の反応が、善いのか?悪いのか?が分かり、会話の善悪を意識する。

大自然」は言う、「形而下だけではなく、形而上を考えてサイコロボールを投げなくては、「善」にはならない

要するに、会話からこちらが何かを感じ取り「意識」

する。

この時に直ぐに、「このまま続けるか?」「角度を変えるか?」「話題を変えるか?」の「ご神示」をする。

絵姿で教えられていた、自分の「癖」や「欠点」の注意事項を思い出す。

なぜなら、自分の意識とは、自分の性質・性格に結びつけた形而下的な感覚による考え、行動と、大自然からの霊(観能)を戴き、観応させて戴き、力・智慧を授かり、ご神示の「可、不可」や「思わされる」「言わされる」等、形而上的意識の両面のことを言うのである。

意識も、形而下だけでは不十分で、形而上に傾き過ぎても歪になる。

「形而下」

と「形而上」

を両立、併用させることにより、大自然からの教えを受け学び、自分の考えを改めていくことが出来る。

なので、ご神示、絵姿の実践をしない者には、体験による学びはない。

さらに、学びは進まない。身辺も将来も善くならない。

形而上の世界を知らないのも、片方の目でしか物事が見えて居ない人で、頭でっかちや、片目の怪物で終わりたくないものだ。

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