「喜」を運ぶとは?
2026年6月2日(火)「喜」を運ぶとは?
あなたは、他人が困っているところ(事)に気が付きますか?
そして、その困っていることに、何気に手を差し伸べることが出来ますか?出来ていますか?
もちろん、あなたの絵姿に出た、あなたの身体に知らせが掛かる、どうも気になる、嫌に反発される、あなたを無視する等、放っては置けない、何とかしてあげたいと感じるからである。
だから、タイミングを見て電話をしてみる、誰かを通して消息を聞いてみる。
あなた自身がダメ(不適役)なら、懇意な人を通して、連絡してもらう。
あなたは、「人の痒い所に手が届く」ように、その人の動き、その人の目の動きから、人の心(苦悩)を見ることが出来ていますか?
そして、連絡が取れ、自分の体験や他人の体験を通して、少しでも考え方の転換のための援助が出来る。
そのように、人の心に「喜」を運ぶ、それが「気配り」であり「心遣い」ではないでしょうか?
現在は、そのような気持ちが薄らいで行き、他人にできるだけ干渉しない、自分の事に追われ、放って置く。
社会全体が、「コンプライアンス(法令遵守)、…」で、少し余計な事には、絶対に手を出さない。
当たらず触らずで、そんな人間関係で社会や家庭が善くなるのか?
それは延いては自分を守ることにばかり心が固まり、他人を助ける小さな危険を侵さないとする。
「虎穴に入らずんば、虎児を得ず(諺)」
そもそも家族なら、親(義理)に喜んでもらいたい、夫(妻)の気持ちを晴れやかにしたい、子供の心に寄り添いたい(励ましたい)など、心の支えになる、なれるように、相手の少しの変化を見逃さないように気を使ってきたのではないでしょうか?
それが、本来の家族の姿ではなかったではないでしょうか?
大自然は言う、あなたは、家族、職場、学校、周りいる人たちなど、自分の居る場所で、何かで、少しでも「喜んでもらいたい(役に立ちたい)」という気持ちを持っていますか?
その気持ちを待たなくては、自分を変えることは「不可能」ではないでしょうか?
自分が「喜」を運ぶから、繋りを持つことが出来ていくからである。
そして、自分を変えられる。
何もしないのでは、自分は変えられない。
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