2026年7月10日(金)「学びが、歪んでいませんか?」

学び・実践

「学びが、歪んでいませんか?」

あなたは、「諸法の原理原則」の教典を何度も読んでみましたか?
何度ぐらい、読み返しましたか?
読み重ねながら、心で何かを感じましたか?どのような事を感じましたか?それとも何も感じないのですか?
ただ、用語が「難しい」「一体何のこと」「自分とどんな関係が?」などと思っただけですか?
「実在の実在」「神仏の遊在」「法の常住」「意趣の所産」等、いずれもこれまでにどの学問にも説かれていない画期的な内容です。
この法則に書かれている「大自然」の意図は、「何を示しているのだろうか?」
そして法則の中で、「大自然」について自分が分かっていなかったこと、「大自然」について間違っていたこと、「法則」について考えが足りなかったこと等に気が付き、それを取り入れ自分を直して行きたいと思い、感銘を受けませんでしたか?
さらに原理・原則、法則から知ることは、「大切にしていかなくてはならないものは、何か?」また、「何を、守っていかなくてはならないか?」を、一人ひとりが考えていかなくてはならないことを、暗に示されているのではないでしょうか?
「何々すべき」「何々しなさい」「何々はいけません」そのような宗教的な戒のことは、何ひとつ言葉としては記載されていません。
「大自然」という存在を、信じ、教え(力・智慧)を求めるなら、「何を言っているのか?」「何が一番大切なのか?」では「何をしなくてはならないのか?」法則の考え、法則の教えている事、法則の意図を知る学びが必要なのではないですか?
大自然は言う、あなたは「法則が、何故あるか?」を見直し、「法則に副った捉え方が出来ているか?」それを学び直すことである。
基本を知らなければ、歪みを知らないまま進んでいくのではないか?
大自然の法則とは、華々しく、派手で、カッコよく振舞うためのものではない。
むしろ、地味で目立たず、静かにゆっくり進行し、しかし確実に自分も周囲も善くして頂ける、気付いたら望みも叶い、善くなっている。
しかし、法則は助けてはくれない、法則は教えてはくれない、法則は待ってはくれない、法則は許してはくれない、そのような能きを持っている無味、無相、無限の存在である。
法則を求め、知り、学び、実践し、さらに自己が変わる。
これは自己責任である。

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