2026年6月22日(月)教えるために、「戒」がある?

学び・実践

教えるために、「戒」がある?

誰もが、自分にとって楽しい、嬉しい(興味がある)ことがあると、それをやりたい、やり続けたいと思うのではないでしょうか?
しかもそれが、社会的にも認められ「正しい事」「役に立つ事」であると自分で信じている場合もある。
その上、「金になる」「儲かる」「出世できる」等と思う。
そうとも知らず、もし「偽り」のなかで生きてきたのならば、いつまでもそれが許されることはないのである。
さらに、いつまでもやっていたい、やり続けたいというのは、実は自分の我(慾)でもあり、我儘になるのではないでしょか?
人は、その我儘を通すために、思い通りにしたいために、相手の言うことに全く耳を貸さない(聞かない)、それよりも相手や関係者を動かそうとして、無理なことをする。
相手にバレないように、自分の都合だけを考えて不正さえ行ってしまうものなのです。
今、大自然の法則を知り、体験してみれば、その自分の我儘を通すために、家族、職場の人たち、学校の仲間など、周りいる人たちの気持ちを知らず知らずのうちに傷付けてきた事実に驚くのではないでしょうか?
それに今になって「嘘」だった、「やりすぎた」と気付くし、気付かされてくる。
しかし振り返ればその時も、周囲からの「おかしいよ!」「やり過ぎでは?」等、何らかの警告や、事業が「上手くいかない」「邪魔が入る」等、何らかの制御作用があったはずである。
そして、我を通すために行ってきて、噓や偽りが隠せなくなる等して、今になって結果が「戒(いましめ)」になり、どうすることも出来ない状況になっているのではないでしょうか?
大自然は言う、自分が行ってきた不正、自分が使ってきた悪感情、そのことで「戒」は必ずある。
「悪盛んな時、天に勝つ。天定まって人に勝つ」(史記)
悪事をしても勢いがある時は、法則を無視できるが、天道(法則)が定まって来ると、天の制裁がある。
天(大自然)の修正、制裁は、分かるような時が来れば、分かるような形で必ずある。
またそれは警告であり、救いでもある。
人には感情(心)があり、戒めでこのような苦を味わう、その苦を超えて喜を味わう等、心の遣い方を学び、どのように使うのかを、繰り返し、経験し、自分の心で知っていくのではないか?
そして、何が善か?悪か?を学ばさせられていくのである。

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