「法則が身に付いていますか?」
あなたは、「大自然の法則」を学ぶことが出来ていますか?では何故、学びたいのですか?
ただ「知りたい」から「学べば何かに役立つ(大自然が教えてくれる)」から、「参加すれば、何かが善くなる」「ご神示すれば…」「絵姿を貰えば…」と思う等、表向きだけの学びをしているのではないですか?
もし今まで、そのような考えで学んできたならば、あなたは、「何も学んでいない」という事実に気付いていますか?
何よりも、あなたは、全く変わること(さとり)が出来ていない、また言葉を知ったことでますます面子が大きくなっただけではないですか?
「今の勉強の状況は、さとりなどとは程遠い状況だ」(当来佛)
「ワシは、頼んで勉強に来てもらっているのではない」(同)
それでは時間と労力の無駄である。
ならば、どのように学んで行ったら善いのか?
取り組み、心の姿勢に問題があるのではないですか?
「どのようにすれば法則が分かるようになるのだろうか?」
「どのようにすれば、法則に副った考え方を持つことが出来るのだろうか?」等、自分の心が大自然の教えを求めていますか?
大自然からのご説法を求めて、理解して実行しようとしていますか?
心が求めるから、質問し、ご説法が頭に入り、身に付き、実践する。
そして信のある「ご神示」をさせて頂ける、頂いた「絵姿」を、何としても実行しようとするのではないでしょうか?
なんとか、自分の現状を打開したい。家族を善くしたい。
なぜなら、貧、病、争の中にいる今の自分で居たくない。
不安で、恐ろしくて、情けなくて、辛い、痛い、苦しい、そんな状態から早く抜け出したい。
人間として役立に立てない自分が哀しい、人から嫌われたくないなど、自分の性格を直したい、改めたい、必要とされたい等と、求める心、向上心があるから学ぶのではないでしょうか?
大自然は言う、天から見た時「自分を他より優れている」「自分は他人に勝っている」「自分は出来ている」など考える人間ほど愚かな者はいないのである。
人間は「団栗(鈍、愚理)の背競(くら)べ」で、皆どっこい、どっこい。
完璧な人間は存在しないからである。
上には上があり、人生の本当の意義、目的、仕合わせをまだ知らない。
苦や悲の中に居ても改善しようとせず、脱出せず、今のままで善いと考えたら、停止、後退、衰亡、滅落である。
この世だけではない、次の世が在り、苦や悲、怒、哀を持って死んだら、そのままの状態で次の世に生まれる。
この真理(真実)を知ったら、少しでも努力し変わろうと考えるのではないか?