自分の「欠点」を、見落としていませんか?
人は、誰もが他人から良く見られたい、良く見せたいと思う気持ちを、知らず知らずの内に思っているし、心の片隅にあるのではないでしょうか?
だから服装や化粧、持ち物に気を付けるのではないですか?
また、恥をかきたくない、笑われたくない(後ろ指を刺されたたくない)等、もっと大きなこと(欠点)が心に在るのではないでしょうか?
そのような話をすると、「(自分は)そんなことはないです」と否定する人が居る。
ところがそのような人に限って「私は、この様にしています」と言い返し、何時の間にか、自分がしていることの自慢話になっているのですが、指摘された問題に気が付かないのです。
その言い訳、付け足しこそ、面子、我の塊ではないでしょうか?
「悪いのは私ではない。相手だ」という、さとりの欠片もない。「天に唾する」逆切れ現象です。
何の勉強しているのか?何のために、誰のための修道か?
自分の直面する問題点から、逃げている。自分の欠点を直そうという気が無い。
その反動はどこに出るか?分かりますか?
子供が…、孫が…、家族が…、仕事が…、体調が…、それは他人の所為でしょうか?
分かりますか?このように誰もが自分では気が付かない、隠れた「面子」「我」を持っているのです。
それが相手に対し、嫌な思いをさせている、また嫌われことをしている証拠、証明なのです。
自分では仲良くしているつもりなのに…、面倒見てあげたのに…、何時の間にか避けられ、去っていくような相手はいませんか?
これまでの人生でこのようなことはありませんか?あなたに、このような人はいませんか?
相手にも、何か事情があったことに配慮できませんか?
天はそれを見ている、言葉を聞いている、知っている、業として預かり蓄えておられる。
大自然は言う、「人から避けられる」それが知らせであり、自分が直さなくてはならない性質・性格の悪い部分なのではないでしょうか?
自分が、「何故だろう?」「あの人は見かけないけど?」「何故あの人は、電話してこなくなったのだろう」と思わされることを、見逃していませんか?
まだまだ、自分のことを見つめ直さなくてはならないのではないか?
「皆、欠点は沢山あるぞ!」(当来佛)