2026年8月7日(金)「慾」が人生を決める?
人間は、誰もが本能の中に「煩悩(慾)」を持っている。
本能とは、生まれ付き付与されている、生きて行くための能力である。
その煩悩の中の「慾」とは、誕生した赤子であっても、五感から感じるため既に好き、嫌いの感情があり、泣くことで「気に入る」「気に入らない」という自分の意志を伝えているのである。
要するに、大自然が仮体に魂を吹き込む時に、性質・性格になっていく「質(業)」というものがあり、それが育っていく環境、教育等で、さらに明確に形成されていくのである。
そして、自分が持った(育った)、持たされた(育てられた)、性質・性格で「欲しい(手に入れたい)」「欲しくない(要らない)」という「慾」の感情を強く持つようになっていく。
慾のまま生きる、我慢が出来ない、これは動物と同じであるが、人間は人間の心を持ち人間として理性によって慾をコントロールできるものである。
昨今、「慾」を表に出すことが、まるで当然の自己主張のように思われてはいないか?
怒りのあまり「犯人を死刑にして欲しい」等、被害者が裁判で堂々と訴える。
感情は分かる、しかし、これを訴える、訴えを聞く事は正しい事なのか?
大自然の法則では「罪も、人も、憎まず」である。
生まれさせられた環境(父母、家)は、本人の業による宿命であり、環境によって持つ性質・性格も決められたものではあるが、その与えられた感情をどの様に使うか?それは、生きていく中で善いのか(善業)?悪いのか(悪業)?を意識し、判断するのは、各自に任せられている。
「あれが欲しい」「ああなりたい」「これは嫌だ」「どうしても…」これらの煩悩から逃れることは難しい。
だから、大自然のお智慧とお力を頂くのである。
酒、たばこ、ギャンブル、薬等、いとも簡単に煩悩を取ってもらうことが出来る。
大自然は言う、「お前が、どうなりたいか?」である。
自分の「慾」だけを考えて生きていくのか?それとも、「慾」を手放し、「ご神示」を信じて、相手や世のために役に立つことを考えるのか?
それは、自分で選ぶことが出来る。
どちらを選ぶのかは、自分の生き方である。