「繋がらないのには、理由がある!」
私たちは、常に他人から喜ばれために、「自分が何をすれば善いのか?」「どのようなことをさせて頂いたら善いのか?」を考えているでしょうか?
例えば、日頃から親(義理)に対して「喜んで頂きたい」と思う気持ちが、「ある?」か「ない?」か、または「何も考えない」関心が無い。
そこに人としての「心」の違いが起こってくるのではないでしょうか?
それは人生を通じて、人間の重要な「価値」である。
同様に、夫や妻、子供、そして兄弟・姉妹などに対して、僅かなことでも「喜んでもらえたらなぁ?」という心遣いが出来るか?思わないか?
そんな小さな相手を思う気持ちが持てるのが、本来の人間としての「心」だったのではないでしょうか?
そんな「心」を、以前は誰もが当たり前のように持っていたのですが、今は、風前の灯火のような儚いものになって来ているのではないでしょうか?
外に出て成績を上げる事、他人より抜きん出る事、競争に勝つこと、人の上に立つこと、このような事ばかりが頭を支配し、比較、競争の亡者になっているのではないか?
小、中、高を通じて上へ上へ、他人を蹴落としてでも上へ、家族総出でそれを推進する。
それら躾を受けた人間が国の経済、政治、学問など中枢を支配する考えになっている。
まず、頭に有るのは自分のこと、自分を先に考える、自分が得することを考える、どうやったら儲かるのか?楽になるのか?…と。
それでは人(他人)のことは後回しなる、または眼中に入らないのではないでしょうか?
大自然は言う、ついつい自分を中心に物事を考えてしまうのではないでしょうか?
「あの事はしたくない」「これをすれば、疲れる」「経費が掛かる」「時間を取られる」など、いつも自分を「守り」にかけているのではないでしょうか?
人のために、「自分が出来ることをさせて頂きます」そのような気持ちが消えて行っている。
それでは、人との繫がりは切れるばかりではないか?
こちらから手を差し出さないと、他人とは繋がれない。
他人のために動(話す、考える)くと疲れない、結果として楽しい、嬉しい、これが人間の喜びではないか?
ただし、見返りは求めない「心」が大切である。