「大自然の導きは、ご神示にある」
人は誰でも「大自然」の存在を認識し、常に大自然の霊(観能)を受けている真実を意識することが出来た時から、大自然からの「観応」を感じさせて戴けるのである。(皆有仏性:万物は霊能観受の識性を持つ)(「観能」も「観応」も、大自然のお力による作用である)
それが、「ご神示」「絵姿」「意通力」…など、霊的観応通能力(略して霊観)である。
特に「ご神示」とは、大自然を認めた瞬間から、修行、苦行もなしに、いとも簡単に指、その他の身体の動きで、反応を戴くことは出来る。
そこで、皆が分かっていないことがある。
身体に観じる「ご神示」には、人としての「心」が必要である。
まず、信じる「信」であるが、頂くことに慣れてくると次の段階がある。
それが、人間関係の中で他人に対する「思いやり(心)があるのか?」「大切(愛)に思う心があるか?」の心である。
また、「恨む、妬む心を持っていないか?」また、「自分を改めたい、変わりたいという気持ちがあるのか?」で変わる。
そこで自分が、「他人をどのように考え、思うのか?」で、大自然に対してどのような「お伺い(ご神示)」をするかが、微妙に変わってくる。
すべて自分の「心」の状態でお伺いすることなので、結果の成り行きは、自分の心次第である。
そして「ご神示」は、その反応から、「可」「不可」を、頂くが、ご神示の通り実行し、その結果「上手く行く」「上手く行かない」場合がある。
上手く行けばそのままだが、上手く行かないところに意味がある。
大自然の御意趣(お考え)が隠されているのである。
その御意趣を解く、解明する、そして心違い、考え違いを理解する。
大自然のお考え、法則との「差」を取る。悟るのである。
この様に自分の心を使って「お伺いをさせて戴くので、自分が考え・思っていることが正しいか間違っているか?善いが悪いの?がすぐに分かる。
このように、日々、実践しながら心を変えていく。
「ご神示」の修道は、何度もお尋ねし、何度も戴く、細かい、しかも長い道のりではあるが、そうすることで、心を磨き、さらに「魂磨き」がさせていただける。
しかし「ご神示」は、瞬時に自分の「運命」、「宿命」までも変えていただける「教え」でもある。

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