2026年5月22日(金)「言った言葉を、忘れていませんか?」

法理・原則

「言った言葉を、忘れていませんか?」

あなたは、大事な人との約束を守っていますか?
また、「やっておくわ!」「しておくから!」「分った!」と、軽い気持ち、何気に言った言葉、その場の雰囲気で無責任に答えてしまったり等していませんか?
どのような気持ちであっても返事をしたなら、それは相手との約束にならないでしょうか?
そして、どのような返事であっても受け答えをしたのならば、その約束を守らないといけない、人としてそれを果たさなければならないのではないでしょうか?
しかし、今、そのことを忘れている、時間が経って会話の内容を忘れている等、そのような人が多いのではないでしょうか?
また相手には、「忘れていた!」「そんな事、言った?」「そんな約束、していないよ!」と、平気で答える。
明らかに無責任で、あなたの答えや態度で、気まずくなることはないでしょうか?
あなたにも心当たりはありませんか?
それでは、人を大事に思うことは出来ない、また人との心の繫がりも難しいのではないでしょうか?
仕事の内容にもよるが、人は日々の生活の中で多くの人と接し、多くの人と会話を交わす。
たわいもないあいさつ程度の会話ならともかく、物事の確認、物事の進め方、契約、互いの動きに関することなど、約束事や決まりごとの会話の際、話のレベルは違ってくる。
話した内容と自分の行動に責任が生じてくる。
互いが確認し、互いが話した通り実行しないと、物事は成立しない。
(信義:信頼と義務・社会秩序維持のための法則の一つ)
「させられた」ことには違いないが、させられるにも善いようにさせられないと、相手や周囲に迷惑がかかる。
「させられる」には心が関与する。心によって、善いようにも悪いようにもさせられる。
会話し、返答したその時、自分の「心」はどうだったのか?
曖昧で、適当で、逃げ腰で、不親切で…、それは自分の慢心、慾心、懈怠心から生じるものではないか?
その「心」は、どうして起こるのか?考え直す必要がある。
それも、懴悔の一部にあたるのではないか?
先ずは、自分の言った「言葉」の重みを感じなければならない。
大自然は言う、人は「言葉」で、互いの「心」を表すのではないか?
言葉で繋がり、心も繋がる。

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