2026年6月17日(水)「苦労して、人の心が分かる?」

学び・実践

「苦労して、人の心が分かる?」

2026年6月17日(水)「苦労して、人の心が分かる?」

何か事件や事故が起こると誰もが、自分が優位になるように、少しでも善く見えるように、そして得をする、利益があるように等、真っ先に思う・考えてしまうのではないでしょうか?
それが自己防衛本能でもある。
また、他人を引きずり落としてでも「勝ちたい」「手に入れたい」と思ってしまう人も居るのではないでしょうか?(競争本能)
しかし、そのような「どうするか?」「どちらを取るか?」の選択の瞬間が来た時、自分だけがよければ善いと思っていたとしても、人には「良心」というものがあり、中には「相手が困る」「誰かが傷つく」と判断して、「心が痛む」ことがあるのではないでしょうか?
その上、天知る、地知る、他が知る、我知る。(四知の則)で、特に「天」は、細大微細も漏らさず、見て、聞いてご存じである。
今、その天が、当来佛として再出現しておられる。
例えば、真実が分かっているのに知らない振りをして人を騙す、頼まれたからと言って人を陥(おとしい)れるようなことをする等、今、そのようなことを平気で行える、出来る人が増えてきているから犯罪(特殊詐欺)が増加している。
そして、騙され、陥れられ、貯えも無くなり、無産の日々の生活を余儀無くされる事になっていく人もいる。
大自然は言う、騙す方は残念ながら人としての心が無い、人間としての価値を無くしている、なぜなら良心の呵責が微塵も起こらないからである。
また「騙す方も、騙される方も、悪い」(当来佛)(合わせ鏡)
「慾が有るから、騙される」(同)
そして騙すような者に出会わされるのも、今までやってきたことの結果であり、人を傷付け、心を踏みにじってきたのではないでしょうか?
この世に起こる事は、全て偶然では起こらない、全て自分が行ってきたことに対して起こっていることなのである。(「諸行の必然」「因果応報」)
誰もが、生きていれば善を起こす、悪も起こす。
特に悪が起こった時、起こした時、そこでどのようにさせて頂くか?どのような心を持たせて頂くか?
仕方がないとあきらめるのか?それとも、懴悔してもう一度やり直すか?
では、どこからやり直すのか?それは、覿面(てきめん)に与えられたことから。
しかし、これら不都合、不善の出来事で、その時の人の心を学ぶための法則が、今、形而上学として目の前にあるのではないか?
あなたは、学びたいですか?学ぶには、苦しみながらも実践、実践の積み重ねを絶えずしていかなくてはならないのである!
実践しなければ、人の心は永遠に分かることはない。

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