「学ばなくて、心は見えない?」
あなたは、他人から言われたくない、聞きたくないこと、また自分が気にしている(欠点)ことなどを、言われた時、「嫌な思いをする」「気分が悪くなる」「頭にきて怒ってしまう」など、感情的になることはありませんか?
形而上の法則を知らない人は、兎角、そうなってしまいますよね。
そのような時こそ、今起こっていることをどのように処理するか?
自分の中でどのように受け止められるか?が、この形而上学の学びではないでしょうか?
学びの掘り下げ中や休憩時間にも、嫌なこと、聞きたくない事が耳に入るものです。
あなたは、いつものように、感情的になり相手に感情を投げてしまうのか?また反論し和合ズレをするのか?
それとも、ちょっと待って、「聞かされた」のだから、何故このようなことを言われるか?「させられた」ことを冷静に考えることが出来るか?
形而上の法則に照らすと、「合わせ鏡」なのか?「因果業報」なのか?気付きがある。
次に、御意趣を考える、そして実践する。その違いである。
そうすると、他人の嫌な発言や迷惑な行動が、感謝に変わる。
それが、自分の運命の分かれ道になることを知っていますか?
このように、心に冷静さを持たせて頂けるのが、「形而上学の学び」の効果であり、大自然からの霊(観能)を受けさせて頂き、実際に、即、その場で「可」「不可」で観応させて頂けるからこそ、「知らせ(合図)」であると冷静に思わされ、考えることが出来るのである。
大自然は言う、心はお前たちのものではあるが、どのように使うかで「善」「悪」に運命が動いているのである。
心と運命は、強くつながっている。
嫌な事のその度に、大自然からの「知らせ(合図)」を誰もが、平等に頂いているのである。
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