「皆、心の喜びを知らない?」
あなたは、他人から「いい話があるから、話を聞かない?
と言う誘いを受けたことはありませんか?
世の中にそのような話は、山ほどあり「親が信じているから」「友達から誘われたから]「断れなかったから
「楽になれるから」と言われたから…等、そしてつい、そのような話に乗ったことはありませんか?
そのような話は、往々に知らず知らずのうちに、お金がかかるようなシステムになっているものが多い。
逆に、本当に善い話は、多少のお金は(集まるための経費)は必要じゃが、それ以上はかからない!
「大自然」が言う、「いい話とは、全て、人間の『慾』」から出来たものである。それに乗るのも慾からじゃ。慾では、人は救えない。救われない」
例えば、「救われる」という、宗教団体なども数え切れないほどあり、沢山の信者がいても、いつかは衰退していく。
なぜなら、金集め、人集め、票集めが目的で、苦の根本原因が解決されず、正しい道を教えてもらえず、正しい実践の方法を知らないからだ。
当然、守護もされないし「救われ」ない、真の教えでないから「心」の幸せがいつまで経っても訪れることはないからである。
そのうえ大切にしているわずかな生活費までも、お布施や寄付金と言って吸い上げられるのが、関の山である。
皆、そのような簡単な「もの(嘘)
を信じてしまうのである。
ワシ(大自然)がいつも言っているじゃろ、お前、お前、お前、一人ひとりの感情(心)によって苦、怪我、病気、事故、貧乏などになるのである。
全て、自分自身の行ってきたことの結果によって、自分に降りかかるのである。
それを克服するには、大自然の存在、正しい法則を知り、大自然の霊(観能)を受けさせて戴き、観応させて戴き、日々、原因、経過の解明と地道な努力、すなわち実践をして、失敗してもまた実践をする、開けても暮れても実践をしていくのである。
それをすることにより「心の喜びとは何か?」を知ることができるのである?
本尊を拝めば、金持って頼めば、そして待っていれば、「心の喜び」は、やって来るものでは絶対にない。
自分から進んで、求め、掴み、自分を変えて行くものである。

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