「学びは、和衆?」
あなたは、人との出遭いを大切にしていますか?大切にして来ましたか?
そして、その人との繫がりを持つために、今も何か努力をしていますか?
形而上学、即ち「大自然の法則」学ぶためには、人と繫がりを持たなくては学ぶことが難しい、さらに理解の度が低く、成長しないことを知っていますか?
つまり、目に見えない動き、能きの中に、「心」の動き、使い方が非常に大きなウエイトを占めるのです。
その心は、孤独では動かせず止まったまま、一人でいては心をどのように使うのか?考えることもできない。
相手がいて、相手とのやり取りが有ったり、多数の人間がいるからこそ、心遣いが磨かれていくものである。
そうなのです、どこまでいっても、自分の「心」をどのように使うか?(サイコロボールをどのように受け、投げるか?)が問われていくのです。
形而上学の学びの場では、まず話している人の話しをよく聞き(実践の話し)、人の交わり持ちながらお互いが体験や法則を教え合い、法則とのずれに気付き合いながら、その上で自分の「心」との照らし合わせをしながら、学んでいく「和衆」の学びなのである。
人は、人と繋がることで、その人の反応から「善、悪」を知り、自分の行動、考え方、心がどうなのか?を判断し知る。
要するに、人と人の繫がりを持たなければ、様々な考え方や思いが分からない、視野が広がらないのである。
他人との比較ではない、人の仕草でわが身を顧みるのでもある。
この学びは、「和衆」で学びをしていくことで、お互いがお互いを高め合っていく学びなのである。(教学相長)
そのためには、和衆の場では噓偽りなく、自分をさらけ出し、「素直な心」であることが必要になってくるのである。
また、自分の心が「素」になることで、「何が善いか?」「何が悪なのか?」が暴かれていくのである。
大自然は言う、「素(本心)」にならなければ、心を飾っていては変わることは出来ない。
そして、観応させて頂けないのである。

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