「喜びの種まきから、始める?」
「大自然の法則」を学びとは、正しい「心
が伴わなければ、正しい学びにはならないことを知っていますか?
正しい「心
が伴わなければ、ご神示や絵姿を頂いても、きちんと観応をさせて頂けていないことが分かってきましたか?
そうなのです。大自然は、あなたの「心の底」まで全てご存知なので、あなたが思っている慾、考えている都合、あなたが行ってきたことに対して善、悪の結果が起こってくる、起こされるのです。(方便)
それが、大自然からの「知らせ(合図)」であり、その意味、理解の違い、考えの違いを学ばせさせて頂くのです。
例えば、「大自然にお伺いすれば、すべて善くなる」「物事を善くするためにご神示でお聞きする
という下心を持っていたならば、その心は(大自然は)お見通しで、例えその場が、一時的に善くなったとしても、また何処かでまた同じ事(問題)を起こし続けていくことになるのです。
なぜなら、あなたの心が変わっていない、学べていないからではないですか?
私たちは、法則の中で生かされているのであるから、「ご神示」を自分のためだけに、また自分が善くなるために使うことは出来ないことが理解できていないのではないか?(ご神示は公器:公のもの)
また、自利や我慾、自我、我知、我計の為に使うことは出来ないのである。
ご神示を頂いても、上手くはいかない、むしろ損をさせられるのである。
大自然の法則を学ぶことは、共存、共栄、共生という自然の流れ、世の正しい矯正活動(勧善懲悪)に添って生きることで、「自分だけ、今だけ、金だけ
の人生は有りえない。
あくまでも、大自然にお伺いさせて頂く、教えを乞うという事は、大自然への敬いの心、神示への従順、謙遜の心、結果への感謝の心、気持ちがなくてはならないのではないか?
また、そのような心を持たなければ、生きる事の大事さを知らない、周囲の人の真心さえも感じられないのではないだろうか?
大自然は言う、最初に返って、相手のためのご神示という課題を「どのようにすれば、相手に心から喜んで頂けるのか?」を学び直さなくてはならないのではないか?
先ずは、親、夫や妻、子供と家族、身近な人から、心を変えて接してみることである。

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