「法則は、生きるためには必要!」
「諸法の原理、原則」(本)から
人が見る、聞く、匂う、話す、思う、考える、動く等、諸々の行作は皆、「させられている」。
大自然から「させられている
のであるから「我」は無い。(無我)
「させられている」とは、まず生まれ持った宿命により環境(地域、家、父母、兄弟)が与えられる。
その環境によって「心(感情)」が生まれ、成長し、その感情を使う、使わされていく。
その使っていく感情によって、「善い」「悪い
ことが起こっていき、その起こったことを、さらに「どのようにしていくか?」で、色々な結果を与えられる。
どこまで行っても、「させられている
のである。
しかし、結果を戴く前に、事の善、悪に関わらず、途中で必ず「知らせ(合図)」を戴いている。
「止めなさい」「危ないよ」「方向が違うよ」「足りないよ」「早くしないと」など、時、場所、立場によって知らせが変わって来る。
その「知らせ」に、観応して気が付くか?気が付かないか?そして、「知らせ」を解くか?解かないか?解けるか?解け切るか?そして、自分が変化していくか?(「ここでないと他所では解け切れない」:大自然)
それも「させられている」ことになる。
大自然は言う、「あらゆる万有、諸行は、常に大自然による『自然調節・制御作用』を受けている」。
例えば、あなたが、親(義理)、夫や妻、子供、そして家族にサイコロボール(感情)を投げる時、大自然からの霊(観能)を受けさせて戴き、観応させて戴いていますか?
知らせを捕らえ、観応させて戴くことで、目には見えないが少しずつ「運命」を善に変えていくことが出来るのである。
観応させて戴き、修正し、実践することで、少しずつ状況や結果が「善く」なっていくのが、「大自然の法則」なのである。
観能は、「させられている」から、誰もが常に受けているのだ。
観能も観応も、知らなくても意識しなくても、受けなくても生きて居る。
誰もいつも受けているのなら、知って観応した方が冗のない、苦(貧、病、争)の少ない、より善い生き方ができる。
今直ぐに、やっていけば誰もが喜びを感じることが出来る!
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