「あなたは、間違ってませんか?」
あなたは、「大自然の法則」に対して勝手な思い込み、また「このようにすれば、善くなる」などと、自分流の考えで解釈をしていませんか?
大自然が、「法則通りにすれば、善くなる!」と、言われているから(無理やり)「このようにする!」「これが法則だ!」など、常識を横に置いて「ご神示」(自我・我慾)を行っていませんか?
人間社会の一般的な「常識
も、大切な法則です。
例えば、「三世代で住んだ方が善い」と「大自然」は説かれている。
だからと言って、いきなりそのように実行する、実践することが「善いのか?」を、練って考えなくてはならない。
まずは、同居することに夫や妻、子供が賛同するか?子供の学校(友達)のことは?さらに、同居するスペースがあるのか?親が同居することを受け入れて呉れるのか?兄弟や姉妹はどう考えているか?など、状況を判断しながら、一つ一つ解決していかなければならないのではないか?
その中で一番難しいのは、お互いの「心」の問題ではないだろうか?
まず、互いに相談(報、連、相)した上で事を進める。
また、法(上、下)、時(タイミング、時期)、処(地域)、才(能力)、価値の条件に適っているかどうか?形而下の状況を考え、「させて頂くか?」「それで善いか?」を、ご神示をしていかなくてはならないのである。
「大自然」は言う、一人ひとり全て「自己の住位」「分」も異なる、それらの法則も考えなくてはならない。
ご神示は、占い、物当てではない。
一つの法則(教え)だけに執着したり、偏って独善的に成ってはいないか?
法則にも、絡み合い、バランスがあり、解釈の仕方、そして運用、実践の方法がある。
実践しなくてはならない。実践しないから変化しない、善くならない。
しかし、実践し過ぎも善ではない、歪になるのである。
そして最後は、自分自身が「どのようにさせて頂くのか?」、そのことが、将来にわたって、相手にとって「善」になるのかを考えることが、自分の「真心」(誠心誠意)ではないだろうか?
そして、「真心」からの行動、発言には大自然の加護、御守護が加わり、先で自分自身の喜びになる(魂磨き)。
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