「信頼されるとは?」
あなたは、先進的な「大自然の法則」を学んだために「法則は、こうだから」「法則を基に、このように考えなくてはならない」など思い込み、少し行き過ぎた解釈を前に出して、「このようにしなくては!」「あのようにしなくては、いけない!」など、自分の中の自我(エゴ)、我慾、焦り、面子、果ては下心で物事を進めようとしていませんか?
「ああすれば良い」「こうすれば善い」と、「絶対に良くなるから
と聞いた、体験したからと、無理やり、家族、周りにいる人たちを動かそうとすれば、逆に和合ずれを起こし、知らせは掛かり、「なんで、こんなことに?」「何が悪かったのか?」と、自分自身を追い込むことになり、結局、したことが法則から外れているのではないですか?
救うのに急がなくてはならないが、焦ってはいけない。
「急がば、廻れ」ともいう。
「大自然
は言う、「あなたはサイコロボール(感情)を投げる相手のことを形而下的に良く考えて、また観察していますか?」
そして、法則を実践するのですが、そのサイコロボールが受け取る人にとって「喜」の目になるために、考えを練り、その上で「ご神示」をしていますか?
四適に適う行動、発言を目指して、ご神示して生活するのですが、家族や職場の人たち、学校の仲間、周りにいる人たちにとって、「今、役に立てる事が何か?」「喜ぶことは何か?」を見つけ出し、必要なことをする、させて頂くことが、的(正鵠)を射た四適になるのではないですか?
要するに、相手の心が「今どうなのか?」「受け入れてもらえるのか?」を、第一に考えることではないか?
そうすることで、他人に喜んでもらえる、また「良かった」と思って頂けることを、日々積み重ねていくので、信頼関係が出来ていく。
人と人との繋がりは、信頼、信用(必要)関係から出来上がっていくのである。
その繫がりを大切にしていくから、大自然の法則の教えの仲間が出来、「蜘蛛の巣」が広がっていくのである。

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