「あなたに、心がありますか?」
あなたは、形而上学(大自然の法則)を学びたいと思った気持ちを、今でも「心の中に持っていますか?」「忘れていませんか?」
「学びたい」と思った理由は、一人ひとり違うだろうが、「何かが上手くいかない!」から、もっと「何かを善くしたい!」という、変化させる、向上する気持ちは同じだったのではないだろうか?
では、「善くしたい!」という気持ちがあるなら、何故、「ご神示」や「絵姿」を忘れるのだろうか?
また、大自然から観応させて頂き、教えて頂いた「気づき」(絵姿)を実践していけないのは、この学びをしていれば、法座を聞けば、その内「善くなるだろう」と、心のどこかで安易に思っているからではないだろうか?
また、絵姿は一度貰ったから、一度実行したから「それで善い」と、思ってはいないだろうか?
「絵姿は、一度では、実行したとは言えない」(大自然)
それとも「善くなりたい」という気持ちは、初め少し思っただけで、今は終わっているのではないですか?
大自然は言う、ワシ(大自然)は、無慈悲である。「変えたい」「変わりたい」のは、おまえ自身ではないのか?
心の底から「善くなりたい」と思い、自分の「心を切り開く」気持ちを持たなくてはならないのではないか?(頭から切り開く)
要するに、どんなことがあっても「変わってみせる(必死さ)」という気持ちの努力がないのではないか?
また、大自然から頂く「絵姿」「ご神示」に対して、「藁(わら)にも縋(すが)る
思いがなければ、何も変わらないのではないだろうか?(心構え)
自分自身に「変化」を求める心がなければ、また何度も努力は出来ない。
努力するということは辛い事(苦)であり、それを超えるから「喜」があるのである。
自分を「変える」、周りを「変えよう」とは、心から思わないと、なせない。
だから、途中で忘れるのである。
そして、大自然からの教え(絵姿、ご神示)を心から聞けていない。
何故なら、この教えに対する「有難い」という「感謝
がないからである。
また心から「感謝をすれば、「感謝」は、心に残り死ぬまで忘れないものである。
それが、本当の「感謝」というものである。
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