「間違いを、認められますか?」
あなたは自分の行ったことに対して、「間違った行動をしてしまった!」相手に「間違ったことを言ってしまった!」など思ったり、後悔したことはありませんか?
「相手に悪いことをした」と気が付いた時(自覚した時)に自分の心が、その行為に対して、厳しく責める、苦しむ等「良心が呵責(かしゃく)する」気持ちになったことはありますか?
そして、そのような気持ちなった時、あなたは素直に認め、謝れますか?
それとも、ごまかし、知らない素振りをしていませんか?
自分の間違いに気が付いた時に、どのような対応をするかが(未来に)影響し、問題になっていくのではないですか?
「認めることが出来るか?」それとも「認めることが出来ない?」かが、大きく運命の分かれ道になっていくのではないでしょうか?
もし、「認める」ことが出来たなら、その場で恥ずかしい、嫌な気持ち(蔑まれる気持ち)になるかもしれませんが、心が罪悪感から解放され、救われるのではないでしょうか?
逆に「認めらない」とすれば、いつまでも心に罪悪感をもち続けることになっていくのではないでしょうか?
この様に自分の罪を悔い改め、善を行い、罪障償滅し、他の悪を諫め禁しすることなどを「懴悔(さんげ)」という。
大自然は言う、間違いは誰にでもあり、(小さな)罪を犯すことがある。その間違いを正すことが「出来るか?」「出来ないか?」が、一人ひとりが持つ性格・性質になっていくのである。
あなたは悔い改めることが「出来ますか?」「出来ませんか?」その気持ちがあるかどうかが?「大自然の法則」を学ぶことが出来るか?出来ないか?に大きく関わっていくのである。
そこで、素直な心を持たなければ、「法則」を身に付けることは難しくなるのである。
学ぶとは、自分の行為や発言の「善い」「悪い」を見つめ、法に照らして間違いを修正する(罪を認める)ためのものでもあり、「大自然」に対して「ご神示」を立てる時に、お尋ねする心の善悪が問われるのである。
あなたは、そんな自分と向き合うことが出来ますか?
(懴悔とは、①善悪の分別を知る②業の時を知る③因縁果流転の方を知る④意業の罪を知る)

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