2026年4月27日(月)「自分の罪は忘れてはならない」

法理・原則

「自分の罪は忘れてはならない」

昨日の広島法座のテーマは「懴悔」でした。
今、病気(癌、脳梗塞)になる、怪我をする、物事が上手くいかない、何か困りごとから抜け出せない等、目の前で起こったことで、大自然からの「知らせ(合図)」だと気が付き、これからどのようにしていくか?
まず、大自然にお尋ねして、絵姿等で教えて頂く。
すると、大体の場合「方向の人と、良く話なさい」と、主な原因は「人間関係にある」と教えられる。
そこで、過去の人間関係のずれを法則に照らして考えて見る。
そしてまず「相手に謝る」それは形而下では当たり前のことで、謝らなくては「懴悔」は、始まらないのである。
そして罪の許しを請うために、これからどのように相手の心に接していくか?向き合っていくか?(形而上)そこから、謝罪が始まっていくのではないでしょうか?
では、あなたは相手に対して、心から「悔い改めさせて頂きたい!」という、心からのお詫びの「必死さ」を持っているのだろうか?今も、心の中に持ち続けているだろうか?
その心が無ければ、心の中の何処かに「やってきたのに!」「自分なりに頑張ってきたのに!」という、言い訳の気持ちが起こり、自分の病気(知らせ)を受け入れられない気持ちがあるのではないでしょうか?
それでは「懴悔」にはならない。
また「懴悔」するとは、なにかの緊迫感がなければならない、その中であなたの「謝り」の気持ちが見えないのは、相手の心の傷を「癒させて頂きたい」という誠心誠意の心がないし、それから「悪いことをしてきた」という罪の意識が、まだまだ薄いのではないだろうか?
何故なら、「悪い」「悪かった」と、心から思えば、自分の態度も、言葉も、何もかもが変わっていくのに、変らないのは、既に許してもらった、許してもらえていると思う気持ちを、簡単に持つからではないでしょうか?
大自然は言う、自身が悪いことをして、他人の心を傷つけたならば、たとえ相手がもし許したとしても、「自分は、自分自身を許してはならない
のである。(自戒)
それを心に持つことで、変わっていける、二度と繰り返さないように気を付けていけるからである。(持戒)

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