「心が無ければ、気遣いは出来ない!」
私たちは、常に時間に追われ、気が休まることもなく、自分の事で手いっぱいになっているようなことはありませんか?
「あれもしなくてはならない」「ここで手を抜くことは出来ない」等、いつの間にか忙殺されている。
「忙しい」とは、立心偏と亡は失う、無くする。つまり心を失っている状態。
そのため家族との丁寧な会話がない、職場の人たち、学校の仲間、周りにいる人たちのことに目がいかない、関心がないため苦しんでいても気が付かない、逆に無視しているようになってしまうのではないでしょうか?
要するに、結果として自己中心で、自分勝手で、我儘で、自分が上手く立ち回れる事ばかりを考えて行動しているのではないでしょうか?
私たちは、心を無くして何時の間にか他人に対する「気遣い」を忘れ、他人の気持ちを考えて、その人にペースに「合わせる」心に「寄り添う」ことが出来なくなってきているのではないでしょうか?
そのため、悪気はなくても、気が付かないまま他人が傷つくことをする、言う、怒らせるようなことになってしまうのではないでしょうか?
また、今では、質(たち)が悪いことに、相手が嫌な思いをしていることに気付かない、怒っていることが分からない人が増えてきているということなのです。
何故そのようになったのか?それは、昭和の高度経済成長期(1955年頃から1973年までの間)の仕事中心の考えによって、家庭環境(共稼ぎ)そして子育てなどの仕方が変わって来たことが原因で、家族間で「人の心」の繫がりが変わっていったのです。
何時の間にか、それまで当たり前だった「他人に対する、気遣い(優しさ)」が忘れられ、置き去りになって、消えて行こうとしている。
大自然は言う、物や経済が中心で人を忘れ、大切にしなければならない「人との繫がり」を切ってきたことにより、「心の学び」の場を失い、心を無くしてきた結果が、今の人間関係に至っているのである。
何度も言うが、人間は一人では生きていくことは出来ないのである。
「大自然の法則(形而上学)」を学び、心を取り戻し、心ある人間になる必要があるのではないか?
学ばないままなら、人は「病に侵される」「精神が狂う」など、生きる屍となっていくであろう!
何故なら、心が身体の健康、精神の健全のすべてを支配しているからである。
心と身体、精神との関係は、大自然の法則でないと理解できないのである。