2026年4月3日(金)「一言が、運命の分かれ道?」

人生・幸せ

「一言が、運命の分かれ道?」

あなたは、「大自然の法則」を学び、知っていく内に「この学びは、凄い!」「間違いない!」「神に通じた!」と思う気持ちから、自分の周りにいる家族、職場の人たち、学校の仲間などに、「学び」の考えかたを押し付けるようなことを、やってしまうことはありませんか?

家族(主人、妻、子供)が風邪を引いた、それを見て「知らせヨ!」「悟りなさいよ!」と、上から目線でやってしまう。

事件、事故の報道を見て「前知らせがあったのに…」「次にまた何か起こるよ」「教えを知らないから仕方ないよな!」と、独善的になっていませんか?

また、「法則」を知り、ご神示で伺え、物事が上手く行くこと等から、「自分は常に間違っていない」と自惚れ、行き過ぎた自信のようなものを持っていませんか?

さらに「ご神示」をしているから、「大自然にお尋ねしたから」すべて「上手くいくはずだ」などと下心、慾を持っていませんか?

ご神示とは、そのような考えで大自然にお伺いするのではなく、「今どのようにさせて頂くのが「善い」のか?」「相手、周囲にとって何が善いか?」をお伺いするために、「観応」させて頂くためのものなのです。

自分の行動や発言を問うのですが、「相手にとってどうか?」「相手の都合を考えて」「自分をどう変えるべきか?」「何が足りないのか?」のご神示なのです。

大自然は言う、「ご神示」する時の、心にある思い、考え、癖によって、自分の「心掛け」によって「大自然のお応え」は変わっていくのである。

やはり、「一言言う」「何か問う」「返事する」というサイコロボールを受け取る、投げる、その時の自分自身がどうあるべきなのか?

「どのように相手に接するべきなのか?」「どう言うべきか?

が、相手を喜ばせる「一言」が、未来に大きく関わっていくのではないでしょうか?

ドラマ、アニメなどのように、次々展開していく次の「ワンシーン」(相手の反応)の事を考え、どれだけ大事に思うか?善くしたいと思うか?で変わっていく、それが運命も変えていくのではないでしょうか?

その「ワンシーン」に対して、「これを言うべきか?」「待つのか?」「この言い方で善いのか?」という「ご神示」は必要不可欠のものではないでしょうか?

あなたの「一言」が、善にするか?悪にするか?で、あなたの運命の分かれ道を、絶えずあなたは歩んでいるのである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました