「基本の心を知る?」
あなたは昨日、「ご神示」を何回くらいしましたか?
いつもより回数が少なかったのではないですか?
また、仕事や家族との人間関係は上手く行きましたか?
気になること、上手くいかなかったこと等、何かありませんでしたか?
何か問題が起こりませんでしたか?
「知らせ」の意図(御意趣)は解けきれましたか?
言うまでもなく、そんな時は、絵姿が必要なのではないですか?
誰かに指摘されてから「ご神示をする」「絵姿を頂く
ようでは、心は向いていない、さらに自分自身のことを見つめていないのではないですか?
また、最悪なのは「自分が悪い
と思わない、「原因が自分だ」と反省がない姿勢ではないでしょうか?
そのような考えであれば「変わる(改善、前進)」ことは不可能のではないでしょうか?
誰もが、仕事で失敗する、家族でトラブルになる、また怪我をする、病気なる、子供が熱を出すなど、色々なことが起こる。
それは、他人が起こしたことでも、あなたの「心」が原因で、回りまわってあなたに関わってくるのです。
それは自分が投げるサイコロボール(感情)が原因で、結果として大自然からの「知らせ(合図)」を頂いているのです。
原理原則の「法の常住」「意趣の所産」「諸法無我」「諸行の必然性」にあたりますよね。
要するに、問題が起こった時の反省として、「知らせ」だ、自分の「心」がどうであったか?次に「心」をどのように使うのかを、責任持って自分で学び、努力してどこを改めていくか?が、「魂磨き(心磨き)」なのではないでしょうか?
「心
というのは、言葉遣い(声の出し方)、目の動き、表情、態度など形而下からも相手に伝わり、ご神示をしながら相手の状況を受け取り、自分が言葉を選び「喜」のサイコロボールを投げる形而上を実行して、形而上下の両立になっていくのである。
大自然は言う、形而上学とは、「形而下
の心の元、法の知識、常識が出来ていなければ、「形而上」だけでの、思いつき、ひらめきのご神示では足りないのである。
したがって、「諸法の原理原則」を何度も読み返さないといけないのである。
(基本の心を知ることである)
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