「ご神示」を続ける意味がある?
あなたは、「大自然の法則」を真剣に学びたい、常に学んで行こうとしていますか?
それとも、こんな学び「適当で善い」と思っていますか?
また、これまで学んできたのなら「何処か、自分が変わったな?」「家族が変わってきたな?」と、感じていますか?
変化は、ありますか?自分の身の周りが善くなってきましたか?
何故、このような問いをされているか?あなたは分かりますか?
心から「大自然の法則」の学びは必要だ!絶対に「大自然」に付いていこうと、心から求めていかなくては、学びの本質を掴むことが出来ないのである。
当然、貧、病、争など苦の解決も、運命の向上も、考え方の変化も出来ないのである。
「こんなものは(分厚い法則の本)覚えるものではない、必要な所をその時に読み、心の中で知る、そして実践して、自分自身の心の中に刻んでいくものだからである」(当来佛)
心が変わらなくては、高度な理論も難しい言葉も役に立たない、運命は変わらないという事である。
知っていますか?絵姿を頂き実践していかなければ、ご神示による細かい実践をやり続けなければ、自分の問題に心が気が付かない、罪の意識を心が感じない、相手の心の動きを見ることが出来ない、そして自分の悪いところ、至らないところ、出来ていないところなど、直すところが分からないままなのです。
だから、いつまでたっても変化が出ない、変われないのです。
分かりますか?「ご神示」は、常日頃頂き続けて行くから、細かい所に気付けていける「えっ!こんなことに気が付いていなかったの」「えっ!こんなことやらかしていたの」など、自分の行動や発言、癖が見えてくるのです。
それが、実践を続けていく、即ち観応を受け続けるからこそ、細かい部分の癖が浮き彫りになって、気付かせてもらえるのです。
あなたは、あなたの癖に幾つ気付き、幾つ修正し、出ないように「大自然」に幾つ預かってもらっていますか?
大自然は言われる「いつでも(業を)返すぞ!」と、それは「ご神示をしなくなった時だ」「ご神示を忘れた時だ」と。
「ご神示をしなくても上手く行っていると勘違いするが、その時はワシからの慈悲はない」と。
「人知で上手く行っているのは、表面だけである」と。

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