「本物の心とは?」
人は何故、「心の汚れ」(欲心、嫉妬、慢心、差別心、優越、…等)を持つのでしょうか?また、持ってしまうのでしょうか?
それは生まれもった気質(業)から、自分が持つ性格・性質、そして育ってきた環境で本能が表現されるから。
そして、親からの愛情を独り占めにしたい、学校の仲間の中で人気者でありたい、職場の上司に認めてもらいたい、周りにいる人たちのなかでリーダーでありたい等、競争、自衛本能(慾)を高めていくのである。
そして、「他人のため」というより、周囲から「頑張れ」などの励ましを受け自分が「優位でいたい
「負けたくない」「争う気持ち」「比較する心」「コンプレックスを持つ(劣等感)
等から、そのような「汚れ」を持っている、持たされているのではないでしょうか?
その「汚れ」を持つことで、ますます家族から、職場の人や学校の仲間、周りにいる人たちに、自分の存在を認めてほしい自己顕示慾に固執し「人心(民心)」を得たい気持ちが強くなるからなのではないでしょうか?
自己承認要求である。
大自然は言う、「人心」は、自分が求めて得るものではない、また強要して得るものではない。そのように自分から求めたものは、いつかは消えていき、失うことになる。
しかし、自分が人に対して投げかけるサイコロボールである「心遣い」が相手に受け止めて頂けたなら、それは「本物」になり、やがて「人心」となるのではないか?
それには無欲(無私心)であることが大切である。
*人心:人間の心、人々の心。

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