「学べば、苦があり、努力も必要!」
「大自然の法則」を学べば、思っていることが上手くいく、身体の痛みが無くなる(楽になる)、癌や難病の病気が治ってくる、人生の願いが叶う、仕事などでお金が儲かるようになる等、色々な慾(動機)を持って勉強を始める人が多いのではないだろうか?
誰もが、自分が困っている事を善くしたい気持ちから、最初は興味をもって学び、教えられたことをやってみる事で、思いかけず何かが上手くいく、上手くいかせて頂けることが大自然(慈悲で)によって起こる、起こして頂けることがある。
しかしそれは、表面的なことが上手く行っただけのことで、自分が持つ「業」の問題の元(根)を出ないようにされたのではないのである。
ただ、自分の心に持つ形而下だけの考えから、形而上に視野を広げることで「善くなりますよ」と、一瞬の「奇跡
を見せられただけなのである。(シンデレラの童話にある、かぼちゃが馬車に変わったような方便を見させられる)
この初歩的な導きを体験させられ、これから形而上学(大自然の法則)という「学問
をどのように学んでいくかは、自分の心が決めることである。
法則を知り、実践し、変わることで、誰にでも「奇跡
は起こる、起こしていただける。
形而上学では「奇跡」とは言わず、当然のことが当然に、いつでも、どこでも、誰にでも起こる事実である。
それには、法則を知り、学び、実践する。それを繰り返す努力が大切である。
大自然は言う、言っておくが大自然の法則を学ぶことは、簡単ではない「自分の人生を懸けること
であり、修行である。
それには「ご神示」(絵姿)は欠かせないものであり、さらに必ず実践(実行)することが必須の条件である。
なぜなら、実践しなければ、効果は出ないし、自分の考え、性格など「業」の「間違い」に気が付かない、気が付かなければ、運命も人生も変わることは出来ないのである。
学びの本筋に入らないと、二度目の奇跡は、起こしていただけないのである。
要するに、業の「間違いを認める」「自分の心を変えていく
それを一つ一つやっていくことが「魂磨き」の修行である。
また、学び、苦しみながら自分の視野を広げることが、器(形而上下)を大きくしていくことになる、それは相手の気持ち(心)を受け止めることが出来るようになるからである。


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