「『教え』は深く、終りはない」
あなたは、親(義理)、夫や妻、子供、そして、兄弟など家族の中で、また職場の人たち、学校の仲間、周りにいる人たちの中で、不和、事件事故、病気など、何か問題が起こった時、何か困りごとが起こった時など、何を考えますか?
先ずは、起こったことを解決することを考えなくてはならないが、それだけでは、また同じ過ちが起こり、解決になるだろうか?
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」(ことわざ)ことになる。
そこで、「何故、このようになったのか?」「どのような経路が、起こさせたのか?」などを追及する、真の原因を探すことが形而上学の学びなのである。
そして、再度起こらないように認識(懴悔)し、形而上、下で対策をする。
何か問題が起こる、それには必ず「心(気持ち)がまつわる」ことによって起こる、起こさせられているのである。
また、ちょっとした心の不満、上手くいかない等への小さな我慢(ストレス)、人からの注意が傷になるなど、「心
のトラウマがそのようなことを引き起こす原(もと)になることが多い。
要するに、「心の汚れ」を取り除く、汚れを持たない「心
にしていかなくてはならないのではないでしょうか?
(汚れ心:慾心、疑い心、不平、嫉妬、怒り、嫌う、憎む、怠け、早合点、奢る、慢心、軽慢、威張り、差別心、優越心…知らせが掛かる心)
大自然は言う、「汚れを持たない心を持つのは難しいが、そのように思った時に『これは知らせだ!合図だ!』と考えられ、その意味を解けるのが学びの成果であり、「観応」を受けることにより、感情を抑えて頂いているのである
「皆、気が付いてないようだが、相手から貰う感情を『一旦、保留する』それが出来る力と智慧の能きを与えられているのである
。
そして、一旦留保した感情を、また「どのように使っていくか?」を、身に付けることが「善」に導いて頂けるのである。

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