「ご神示」は上手く行くためのものではない?
2026年6月9日(火)「ご神示」は上手く行くためのものではない?
あなたは、親との人間関係が上手く行くように、夫(妻)と喧嘩しないために、職場で仕事が上手く運びトラブルに巻き込まれないようにするため、学校の仲間に気に入られるためになど、今、自分の立場や仕事が上手く行くことだけを考えてお伺いをして「ご神示」を頂いていませんか?
確かに、それも「ご神示」なのであるが、それでは自己中心で、親の気持ちや職場での人間関係、学校の仲間など、相手の心を掴み、相手と心で繋がっていくことが難しいのではないでしょうか?
また、「上手くいく」「上手くいかない」それは、こちらの心に応じて大自然によって「させられている」のであるから、むしろ「上手くいかない」時の方が大事なことなのではないでしょうか?
上手くいかない時は「知らせ」で、四適の考えと、相手に「心を遣っていない」自分の「心の何かが足りない?」「どこか心が違っている?」等、そのことを知る学びではないでしょうか?
そもそも「ご神示」とは、能率増進、善業が目的ですが、私たちの「心の在り方」「心の向かい方」をお尋ねするものではないでしょうか?
法、時、処、才に適うと同時に、相手に対して「この考えで善いのか?」自分は「この心構えで善いのか?」等、慾はないか?我はないか?面子はないか?事に当たる前に、人に接する前にお尋ねをする。
それによって物事が上手く進むかどうか?大自然が采配される。
大自然は言う、今を上手く行くための「ご神示」だけではなく、「ご神示」は、生きていくための、先の先の、もう一つ先までを見据えたお応えであることを、皆が分かっていないのではないだろうか?
目先の利を追うのではなく、未来を、善く生きるためには、「魂磨き(心磨き)」をしていかなくてはならない、その教えを学ぶための「ご神示」であることを忘れてはならない。
あなたは、人として、親として、子として、夫として妻として…相手に対する「心」を持つことが出来ていますか?
それを、人生を懸けて学んでいくことが、この世に生(命)を受けさせて頂いた役目・役割を探すことになるのではないか?
一回一回のご神示(ご説法)には、その御意趣が込められている。
だから、真剣さが必要である。
