「法則は、心で学ぶ」
本日は、南草津の法座である。
何故、ワシ(大自然)が今ここに再出現したことを信じない、分からないからの!
毎日、毎日、欠かさず説法が出ることがそもそも不思議に思わんかの。
何が今までと違うか?それは、「心」の動きを考える、自分自身の心(サイコロボール)が相手にどのように受け止められるか?
今は、自分自身の感情を抑え、(話す)相手に「怒」を投げないように考え、よく練って、サイコロボールを投げていかなくてはならない。
そのサイコロボールを投げるためには、大自然からの霊(観能)受けさせて戴き、観応させて戴く必要があるのではないか?
観応するから、大自然からの不思議が起こるのである。
しかし、霊(観能)を受けさせて戴くにもワシ(大自然)を、心から「信」を持っている度合いによって変わってくるのである。
度合いとは、その時その時の、考える「慾」であり人知があるか?どうか?で変わってくるのである。
だから、「相手のためになるために、どのようにさせて頂きますか?」と言う思い、考えを常に持っているかである。
相手のことを考えるようになる為には、やはり「大自然の法則」を学ぶことである。
学べば学ぶほど、有り難いと思っていくのではないか?
何故、今ここに自分自身が存在しているか?分かってくるからである?
その有り難さを、心から理解できれば、どのように生きていけば善いのか?分かるはずである。
法則とは、心で学ぶものである。

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