2025年12月18日(木)「ご神示するとき、心を見られている」

知らせ・さとり

「ご神示するとき、心を見られている」

 

人は、日々の生活の中で他人に対して色々ことを、思う、ふと気になる事がある。

それは、「大自然」から、思わされている、気にさせられている。

形而上学を学ぶ者は、その違いが判り、させられると受け取る)

今、思ったことに心が引っかかったとき、向き合うか?考えるか?流すか?は、自分自身の心の中にある。

しかし、向き合わなくても、考えなくても、思わされたことは自分自身の「心」に残っていくのである。

大自然」は言う、「人間は面倒くさがりやであり、何とかなると(良いようになる)、勝手な思い込みをする者が非常に多いのである」と。

今の些細な思いが、後に大きく状況を変える。

例えば、他人に対して、自分が「傷つける言葉を言ってしまった」そのように言ってない積りだったが、相手が「傷ついている」のに気が付いている。

その場で自分も、何かしら気まずい思いをする、している。

「直ぐに謝らないといけない」と心の中で、かすかに思う、思わされている時、あなたは謝る?謝らない?

行動するかしないか?そこに、それぞれの違いが出る、チラッとした思いに素直になり謝る者、自分の我や面子があり、謝らない者がいる。

大自然」は言う、「ご神示」はどのよう謝りますか?でお伺いすることである。

「ごめんなさい」か?「ゴメン」と軽くなのか?「すいませんでした」か「申し訳ありません」と深く言うか?…。

また、自分に謝る気持ちがなければ、「ご神示」しても結果が上手く出ないのである。

それは感謝の「有難い」という、言葉も同じである。

「ご神示」するとは、自分自身の心が、「大自然」に見られている。

謝る気持ち、反省する気持ちが「ご神示」に必要になっている。

また、感謝の時も、心からの「ご神示」が必要となり、時にはチャンスを逃し、「ご神示」しても言わず仕舞いになることもある。

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