「あなたは、変わらなくても大丈夫ですか?」
あなたは、「ただ、あの人の喜ぶ顔が見たい」「この人の役に立ちたい」と思い、自分の事はさておいて、何かを一生懸命する、何かをしたいと考え、その目標のために頑張ったことがありますか?
人は、家族や夫婦、子供等、人を愛する気持ちがあるから、大切に思う心があるから、やろうとする、辛いけど自分に負けない強い気持ちが持てるのではないか?
それは、自分を大事に愛すればこそ、もっと「変わろう」「悟ろう」として、弱い自分に負けない気持ちを持つのも同じことなのである。
例えば、何か困ることがあり、先輩に相談する、絵姿を頂くなど、神示やアドバイスを頂くが、実践ができない、いつまでもやれないことがある。
「大自然」は言う、絵姿、掘り下げを頂いて「『あんな事は出来ない』『そんな事は無理です』と、やってもいないのに、実行する前から文句を言う、出来ないと考える者がいる。そういう文句を言う者は、最初から本人が諦めている。
また、自分を変える心は持っていないのである。自分に負けている。
なぜなら、自分の性格、性質、言動が悪いとは微塵も思わないからであり、また直ぐに相手が悪いと考え、自分には非がないと考えてしまうのである。
そのような者は、いつまで経っても変わらない、変わることは出来ない、全く向上心を持てないからである」。
自分自身の周り起こる事件、事故、不都合、病気等、すべては自分自身に原因があり、その原因は自分が作ってきた(業)から起こってくる。
前世と今世の過去の業の結果(戒)で、改善のための「知らせ」である。
今まで、行ってきた言動、発言は、消すことも、なかった事にも出来ない。
変えるためには、先ず「自分が悪かった」「間違っていた」と反省する気持ちを持つことから、始まるのではないか?
その反省する気持ちがあるから、次に「大自然」に頼り、「どこが悪いか?」「どうすべきか?」と、「ご神示」でお聞きして、現状を打開し、善(善根、善業)をなして、人間改造していくのではないか?
人は、連の中の個、集の中の個で、必ず影響して、影響を受けて生きる。
人間は、絶対に一人では生きていけない。しかし、癖や我慾の強い者は、仲間や家庭から、職場から排除される。
人はそれぞれ自立の力(本能)を与えられているが、本能の強調は歪である。
周囲と協力、扶助、調和、和合して生きて行くのも本能である。
だから、楽しく、喜んで、無駄なく能率よく、生きていくためには、人間としての「心を磨く」ことが必要ではないだろうか?
それが形而上学の目的でもある。

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