「善い、悪いが分からない?」
人が、「善い」「悪い」という道徳的な判断を覚えるのは、初めは家庭で幼少期からの環境と社会的な対人の関係から、幼、小、中学年と成長を通じて形作られていくのである。
幼少期の子供は、自分が行動した結果、親や周囲の反応がどう反応するか?褒められるか?(お菓子などご褒美がある)また、叱られるか?(怒られる)により、「善い、悪い」を判断して覚えて行く。(善悪の基準:原理原則)
また、相手(親)が悲しむから「悪い」(心は傷つく)、喜ぶから「善い」ことなどと、親そして周囲にいる人たちの言葉や顔の表情、目の動きの感情表現からも学んでいくのである。
そして親(義理)、祖父母、兄弟など、そして周りに居る人たちと触れ合い、コミュニケーションをとりながら、社会的なルールを学び、覚え、心も成長して行くものである。
親には、社会的ルールを教える責任がある(感謝と責任:原理原則)。
しかし、今「叱らない育児(ポジティブ育児)」へ悪化しているため、叱られる、注意される機会が減少している。
耳触りの良い「叱らない教育」と「放置(ネグレクト)」「放任」を混同しているのではないか?
そのために、「王様、王女様」扱いになり、すぐ切れる、耐えられない子供、「ルールを守らない」子供、「人の心の痛みが分からない」子供などの問題が起こってきている、それが社会問題(いじめ、犯罪)にも発展してきている。
世の中には「して良い事」「してはいけない事」がある。それは、まず家庭の中での決まりであり、社会という多衆の中で生かされる枠、分限である。
この判断、知識が無いままに成長する。(万物の住位と分:原理原則)
大自然の法則に「均衡矯正運動」という原理があり、物事の動きは常に矯正され平均化される。また、物事は真っ直ぐ進まないように、色々な抵抗を受けながら、蛇行、移行しながら進んでいくようになっている。天敵、抵抗、対流は、自然界に必ず存在し、それに耐えながら生きて行くものである。人間社会も同様である。
大自然は言う、「善い」こと「悪い」ことの判断が出来ないと、自分勝手な生き方だけでなく、人としての優しさが失われていく。
また、人に対しての心遣いも出来なくなっていくのである。
また、感情の使い方が分からない人たちが増え、心の病(精神病・神経病)が増えている。
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