「自分の正しいは、間違い?」
あなたの目の前で、「何か問題が起こる」「何か不具合が起こる」その時、戸惑い不安になる、心配になる。
それが、何故起こったのか?何が原因か?誰か?を考える。
その原因を考えた時に、例えば、自分の責任ではなく、すぐに他人(相手)によって起こったのではないか?起こされたのではないか?と、考え・思ったことはないか?
まず自分に関係あることだと考えられず、誰か他人(相手)を悪く思う、疑う(疑心)などの気持ちを直ぐに持つ、考え・思ってしまうようなことはありませんか?
それは、いつも他人を疑いの目で見ている、何かで疑う心あるから、つい思う、思わされてしまう。(「させられる」)
その場にいさせられる、見させられ、聞かされるのは、自分にも関連があるからではないか?
そして、その気持ちが抑えられず、他人(相手)に対して、他人が悪いと思い、自分自身の感情を(怒り)をぶつけてしまう。
結果、「和合ずれ」を起こしてしまう。
このようなことは、時々ありませんか?
「大自然」は言う、「何故、自分ではなく相手が悪いと最初に考えを持ってしまうのか?いつも自分が正しい、自分は間違っていないという気持ち(面子)を、持っているからではないか?」と。
それは直ぐに、他人(相手)を疑う、疑ってしまう「心(業)」(疑心、邪心、悪心)を、自分が持っているから。
自分自身の当たり前(常識)が、正しいと考える思い込みがあるからではないか?
また、自分は正しいと自分で判断するから、当然「ご神示」が出来ない、「さとり」が出来ないことに繋がっている。
多くの人は、「自分は、正しい生き方をしている」と思っている。
しかし、それはもしかしたら偏見、エゴかも知れない。
大自然は言う、「正しいと、「善」とは違う。善が必要なのだ。
「善」とは、「法に適い」「時に適い」「処に適い」「才に適う」(四適)言動のことである。そして「善」は、人間の判断ではできなのだ」と。(そして愛)
大自然と観応(ご神示)しないと、物事、言動、考えの善悪は分からない。
人は大自然と観応しながら、善を求めて、日夜修行する。
そして善業が累積出来る。
その結果、運命を善いように変えて頂けるのだ。
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